養生訓巻第一 貝原篤信篇録 総論上 ㉑ 鳳凰堂流解釈
[原文を現代文に改変]
天地の寿齢については邵堯夫の説に十二万九千六百年を一元(一つの節目)とし、
今の世は既にその半分を過ぎていると言っている。
前に六万年あり。後に六万年あり。人は万物の霊と考えられる。
天地と並び立て三才と言うが、人の命は百年にも満たず。
天地の命の長さと比べると、千分の一にも足らない。
天は長く地久しい事を思い、人の命の短さを考えると人だけが愴然として短い。
このような短い命を持ちながら、養生の道を行わに短い天年でさえ短くすのるはどういう事だろう。
人の命は重いもの。道に背いて短くしないようにすべきである。
鳳凰堂流解釈
現代的に考えると、天地は地球の寿齢か宇宙の寿齢。
地球でも約20億年。それをもう少し細分化して10000年前後で区切ったとしても、人の寿命の短さは際立ちます。
『あはれ』や『わびさび』と言った観念はこのようなはかなさを無意識に感じ取ってきた日本人独特の感性かもしれません。
命が短いのをわかっているからこそ、今を一生懸命生き、輝かせる。
単に今の享楽に耽る事ではないのです。