養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈⑧
原文を現代文に改変
醫となる者、家にある時は、つねに醫書を見て其利をあきらめ、病人を見ては、又其病をしるせる方書をかんがえ合わせ、精しく心を用いて藥方を定むべし。
病人を引うけては、他子とに心を用いずして、只醫書を考え、思慮を精しくすべし。
凡醫は醫道に専一なるべし。他の珍好あるべからず。専一ならざれば業精しからず。
鳳凰堂流意訳
医に携わろうと言う人は、家にいる時は、つねに医学書を見てできることを明確にしていき、
病人を診療する際には、病の指標となっている技術書をかんがえ合わせ、
誠心誠意、細やかに心を用いて薬方を定める必要がある。
病人を引うけたのであれば、他のことに心を用いず、ただ医学書を思い出し、思慮深く考察していくべきである。
医療に携わろうと言う人は医道に一意専心するべきであり、他の趣味や楽しみなど持つべきではない。
一意専心しなければ、医道を務める事はできない。
鳳凰堂流解釈
数十年、鍼だけでなく、様々な治療法、健康、死生を考えてきた人間にとっては、当たり前過ぎる事ですが、
ここまでハッキリと書いてくれるのは嬉しい限りです。
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