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養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈㉑
原文を現代文に改変
諸藝には日用のため無益なる事多し。
只醫術は有用の事なり。醫生にあらずとも少學ぶべし。
凡そ、儒者は天下の事皆知るべし。故に古人醫も儒者の一事と言えり。
ことに醫術は我が身を養い、父母に仕え、人を救うに益あれば、もろもろの雑藝よりも最も益多し。しらずんばあるべからず。
然れども醫生に非ず、療術に習わずして妄りに藥を用ゆべからず。
鳳凰堂流意訳
あらゆる芸事は普段利用する事で何か良い作用を起こす事がある、ものは少ない。
ただ医術に関しては有用な事がある。
その為、医師でなくとも少し学んでおくと良い。
凡そ、儒学者は天下のあらゆる事は全て知っておくべきである。
こう考えると古人は医術も儒者の仕事の1つと考えていたと言える。
特に医術は自身の身体をを養い、父母に仕え、人を救う事に価値があるので、他のもろもろの他の芸事よりも役に立つ事が多い。
しかし、医師でなく治療を学ばないのであれば、妄りに薬を使ってはいけない。
鳳凰堂流解釈
至極もっともな意見
医師であれば、あらゆる事を学んだ上で薬に精通していなければ、禍根を遺す事が多くなるのは必定です。