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養生訓 巻六 醫を擇ぶ 鳳凰堂流解釈⑭
原文を現代文に改変
醫術は広く書を考えざれば、事を知らず。
精しく理を極めざれば、道を明らめがたし。
博と精とは醫を學ぶの要なり。
醫を學ぶ人は初より大に志し、博くして又精しかるべし。
備わらずんばあるべからず。
志小きに心あらくすべからず。
鳳凰堂流意訳
医術は書いてある文言をただ読むだけでは、読んでいないのと同じである。
理に詳しくなれば道も見えてくる。詳しさと広さは医を学ぶ要である。
医を学ぶ人は初めから大きな志を持ち、広くあらゆるものに精通するべきである。
これは必須の事項であり、志を小さく粗くしているとこの点すらも理解が難しいかも知れない。
鳳凰堂流解釈
初めて素問を読んだ時には、原文の難しさ、文章の理解の難しさから何度も途中で読むのを止めました。
何年もかかって何度も読んでいると、同じ文章でも見えてくるものが変わってきます。
繰り返し繰り返し、実直にこなすと無駄なものがそぎ落とされ、無意識に刷り込まれていきます。
多角的に観たり、1つに統合したり、その場その場で思考と感覚を擦り合わせる経験の必要性が蔵象と言う、中国伝統医学、東洋医学独特の世界観を生み出したのだと思います。
それには広く、深く物事を探求する力が必要です。