環境問題と農業から見える、いびつな構造
農業が社会の構造を複雑にし、環境へも悪影響を与えている。
そんな内容を書き連ねた本を読んだ記憶があるが、そんなことはないと言い切れないのが生産者である私の気持ちだ。
実際問題、慣行農法でも有機栽培でも現行の農業は多くの使い捨て資材を利用している。畑の表面を覆い隠すためのビニールマルチ、ハウスを覆い保温するためのビニールやポリフィルム、防虫用のネットにトンネルマルチ等々。
正直、農薬や化学肥料に頼らなくなればなるほどこれらの資材は必要になるし、これら無しでは手間と人件費を考えると農家は食っていけなくなる。数十aもある畑をすべて手で除草するなんてかなり非現実的な話だ。
とはいえ、ばんばんゴミを出す農業に虚しさを覚える農家も多い。しかも、そのごみを出せば出すほどお金もかかるのだ。知人の農家は、1年間で出たの廃プラ処分に40万円もかけたと言う。10aの畑で育てた野菜の総出荷売り上げと同じ額くらいだそうだ。うーん。やるせない。
公立廃棄物管理機関によると日本における農業関係の廃プラは1年で約13万5500tにも及ぶらしい。まったく想像もつかない数字だが、とにかく多いのはよく分かる。そのうちリサイクルされるのは3割。残りは焼却か埋め立てで処分される。
恐ろしい話をしよう。年間における日本の作物の総生産量は約1200万t。廃プラが約13万tなので100g辺り1gのごみを出していることになる。皆さんが100gの野菜を食べるたび、この社会に1gのゴミを生み出しているわけだ。
ヤバくないか?
これでは、食事をしているのかゴミを出しているのかわからない。そしてこの状況は生産者だけの問題ではない。虫食い一つ許さない異様なまでのクオリティを求めるバイヤーや消費者の感覚が今の農業体制を作っている。
生産の現場にいてよく分かるが、農家は作りたい野菜を育てて売るというサイクルで動いていない。市場の求めるものを消費者に代わって作っているのだ。
環境問題に対して農家を責める気持ちは分かる。だが、高度な品質を求める一方、値段は安く、環境配慮したものを要求するのはあまりに酷な話なのである。
幸い、消費者が生産者を選びやすい時代になっている。今後もこの流れは加速するだろう。気乗りしないかもしれないが、生産現場を変えるには、同時に消費者側の意識も変える必要がある。今後良い農家を探すことが消費者にとってのモラルになる。
生産者と消費者は一心同体。これが現代の社会構図なのだと私は思う。だからこそ、生産者である私が、消費者である皆さんとコミュニケーションをとることに重大な意義があるはずだ。