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ルシア・ベルリンの小説がまた文庫化されたので、実際に短編を読みながら、どう面白いか7000字くらい使って説明する

2024年9月13日に、ルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』が文庫化されましたね。

表紙の写真が印象的で覚えている方もいるでしょうし、訳者の岸本佐知子さんが好きで注目したという方もいるでしょう。私はかつて『掃除婦のための手引き』を読書会をきっかけに読み、そこですっかり惚れ込みました。

今回とりあげる『掃除婦のための手引き書』は、読書好きには相当話題になりました。2020年本屋大賞〔翻訳小説部門〕第2位、第10回Twitter文学賞〔海外編〕第1位ですからね。

彼女の短編がいかに巧みにできているのかを、『掃除婦のための手引き書』講談社文庫より、冒頭の短編「エンジェル・コインランドリー店」を例に語ってみたいと思います。



本題の前に、そもそも「文庫化」って……

そういえば、「文庫化」というのが何なのか知らない人もいるのではないかと思うので少し説明しますと、ある程度堅調に売れて注目を集め、とはいえ最近は売れ行きも落ち着いてきた大きなサイズの本(=単行本)は、しばらくすると「文庫」になります。手のひらサイズの本ですね。こうやって単行本が文庫になることを「文庫化」と言います。

そのことで、また新刊が出たみたいに注目を集めることもできますし、何より単行本よりも小さくて安価な商品になるので、より広い読者に届くのです。たとえば、村上春樹さんは、小説でもエッセイでも、単行本を出してから数年で必ず文庫化するという流れになっていますね。

でも、売れ行きが芳しくない本や、単行本でも長期的に堅調に売れている本は文庫化されません(売れる見込みがなかったり、すでに売れていたりするわけですから)。また、単行本を出した出版社が文庫のラインを持っていない場合は、やはり文庫化される確率が低くなります(文庫のラインを持っているところが権利を買い取る必要があるので)。

そういうわけで、その再注目の機運や読者層の拡大に喜ばしい気持ちを感じて、文庫化が決まった際には、「祝!文庫化!」などとファンや著者や訳者が言ったりするわけですね。



「エンジェル・コインランドリー店」の冒頭を読み解く

さて本題。

今回は、文庫化を祝して、『掃除婦のための手引き書』の「エンジェル・コインランドリー店」を読み解きます。冒頭に収録されている短編で、文庫のページを数えると、計10ページの作品です。

著者自身を思わせる年若い子持ちの女性・ルシアが、プエルトリコ人やインディアン(ネイティブアメリカン)など、経済的には豊かではない移民の労働者階級が通うようなコインランドリー店「エンジェル」に、毎週赤ん坊のおむつを洗いに行っている。そこで、「アパッチ族のチーフ」を自称するネイティブアメリカンのトニーと、交流するようになり……というのがあらすじ。

冒頭はこんな感じです。

背の高い、年寄りのインディアンだった。色のあせたリーヴァイスを見事なズニ族のベルト、真っ白の長い髪を後ろで束ねてラズベリー色のひもで結んでいる。奇妙なのはここ一年ほど、このインディアンとわたしがいつも同じ時にエンジェル・コインランドリー店に来ることだった。同じ時刻というわけではなかった。こっちは月曜の朝七時に行くこともあれば金曜の夕方六時半のこともあるのに、いつ行っても向こうが先に来ていた。(p.10)

いい冒頭ですよね。ここに出てくるのが、アパッチ族のトニーです。

1970年代における、リーヴァイスのジーンズといえば、肉体労働者やヒッピーと結びつくアイコン。アメリカの肉体労働者が着がちな量産品を着ながら、他方でネイティブアメリカンとしてのアイデンティティを誇示するように、ズニ族のベルト、長髪と鮮やかな髪紐を手放さないでいる。

つまり、居留地でオールドスクールな文化を営むようなネイティブアメリカンではないけれども、アメリカの資本主義社会に同化することもできない。自分を育んだどちらの文化にとってもアウトサイダーであり、アイデンティティにトラブルが起こっている様子が上の描写からでも十分においたちます。

しかも、先を読めばわかるのですが、トニーは心配になるほどの酒浸り。ぶっ倒れるまで飲むし、普段手が震えるくらいなので、明らかなアルコール依存症。

これは彼だけの問題ではなく、コインランドリーに通う階級の人々共通の問題であるようです。コインランドリーの店主であるエンジェルもまた禁酒を実践している(元)依存症者で、コインランドリー内に禁酒の貼り紙が多いのは、彼自身言い聞かせているという意味もあるのでしょう。

社会から疎外され、オーソドックスな形でプライド形成ができない人物を、ドラッグや酒の過剰摂取によって描くのは定番といえば定番かもしれません。そういうわけで、トニーはいつでもポートワインだか、ジム・ビームだかを飲み続けているし、日々通っているコインランドリーでも、手が震えているから洗濯機や乾燥機のまともな操作やコイン投入もうまくできないほどです。

その不器用なさまに、文化的誇りも、経済的勝利も、政治的承認もないことで苦しまざるをえないマイノリティとしての境遇を透かしたくなってきます。トニーが生きているのは、ネイティブアメリカンとしてのプライドを蹂躙され、「男らしさ」の感覚だけは残っているのに、政治・経済的に「男らしさ」を示す機会は、白人たちに独占されている状況です。

トレーラーハウスに住んでいることからも、雑然とした環境で移民や労働者階級が通うコインランドリーを居場所にしていることからも、彼が経済的に豊かではないことが察せられるので、以上のことは深読みではなく、ふつうにそう読めるよねという範囲の読解だと思います



目に映るものの意味を解読すること

この作品では、主人公の視界に何があるのかがひっきりなしに描写されます。それはおそらく、視界に入るいろいろな要素の組み合わせの中で一瞬立ち現れる何かを読み解くことに、主人公のルシアが興味を持っているからです。

わたしはインディアンたちの服が回っている乾燥機を、目をちょっとより目にして眺めるのが好きだ。紫やオレンジや赤やピンクが一つに溶け合って、極彩色の渦巻きになる。(p.14)

あるいは、次の引用を見るのがいいかもしれません。

鏡に映った乾燥機の窓に名前が出てくるのを待ちかまえて読むのが、わたしのいつもの楽しみだ。ティナ。コーキー。ジュニア。(p.14)

ルシアは、自分が視線を向けたものから「意味」が立ち現れるのを「待ちかまえ」てすらいる。

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