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旅の日に想う。自分の存在について。

こんばんは。

先ほど、ラジオで聴いて初めて知ったのですが、
今日は「旅の日」だそうです。

なんでも、
松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立ったのが
1689年の5月16日なんだとか。

「月日は百代の過客にして…」というところは、
学校で暗唱させられたので、知ってはいるけれど、
今となっては、
もちろんその先も知らないし、
奥の細道が、どこへの旅だったのか、
果たして、それは芭蕉だったか、まるで記憶はない。

でも、確か、
旅に出るワクワク感と同時に、
「もうここには戻って来れないかも」という覚悟のようなものも感じながらの
出立だったと書いてあった気がする。
(自信ないけど😅)


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そんなことをぼんやり思い出しながら、
「旅かあ、、、いいなあ、、、」と想うのです。


それは、
「コロナ禍だから旅行に行けない」というのとはちょっと違う。

たとえ、
コロナでなくても、
「旅に行きたい!すぐにでも!」という思いが湧くと、
「そんな場合ではない。そんな余裕はない」という思いがすぐに打ち消す、
そんな頭の中のぐるぐるが、
旅のことを考えると、いつも起きてきた気がします。


ひょっとしたら、それは、

「旅に出る」というのは、
  「今の生活、今の人生、今の自分から逃れたい」という願望であり、

「旅に出てはいけない」というのは
  「自分のために生きてはいけない。
   自由というのは”自分勝手”ということなのだ」という規範・刷り込みである

 のかもしれません。


 うーん。

 

 そんなことを考えていたら、
ふと思い出したのですが、

若い頃に、何度か北海道を旅したことがありました。

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 学校を出て、運よく採用してもらった会社で働いていましたが、
頑張っても、頑張っても、仕事ができず、ついていけず、体を壊して、
逃げるように退職して、実家に戻ってしばらくしてからのことでした。


 なぜ、北海道だったのか、
当時の自分の気持ちはわかりませんが、
いまにして思えば、逃げたかったんでしょう。
いろんなことから。

北海道って、
なんとなく、「開拓」というイメージで、
新しいとか、新規とか、そんなイメージがあったんですよねえ。


 うろ覚えですが、
新千歳空港から、丘珠空港に行き、
そこから女満別空港に飛びました。

そしてレンタカーを借りて、
行き当たりばったりに、あちこち回りました。

そこで、1つ、強烈に印象に残っている場所があります。

トドワラです。


トドワラというのは
北海道の東の端っこ、野付半島にある、立ち枯れたトドマツの林です。


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今しがたネットで見たら、
「この世のはて」の秘境と言われているそうですが、
当時はそんな知識は全くなく、
名前を知っているだけでした。
(なぜ知っているかといえば、
 ドラクエの堀井雄二さんが作った「オホーツクに消ゆ」という
 ゲームを小さい頃にやってまして、そこに出てきたから😅)


なので、なんの気無しに、行ってみるかな?と、車を走らせたのですが…


細かなことは覚えてないのですが、
そこで感じたことだけは、しっかり覚えています。

それは、恐怖。

うまく言えないのですが、
押しつぶされるような、恐怖。

何もない、
何も見えない、
何も感じない。

自分の存在がなくなるような、恐怖。


とにかく、恐怖を感じ、
無意識に、走り出し、
とにかく、誰か人のいるところへ!と走ったことを、覚えています。


一体、なんだったんでしょうね。


自分という存在が、揺らいでいたのかもしれません。


ただ、
そういう意味では、今も同じなのかも。

これから先、
どうすればいいのか。

どっちに向かえばいいのか。

何がいいことなのか。

いま、自分はどうなっているのか。

何を思い、何を感じているのか。


そういうことが、
よくわからなくなっているのかも、しれません。


トドワラは、
地盤沈下や風化によって、
どんどん朽ち果てていっており、
2021年現在、私がかつて見た風景は存在しないようです。

その、今のトドワラを、
見に行くべき時なのかもしれません。


   






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