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忘却の先にある幸せ

いつもの静かな日常が流れていた。

私はデスクに向かい、いつものように黙々と作業をしていた。
時間が経つにすれて凝り固まる目・肩・腰
気持ちは大丈夫でも、体が訴えてくる“休憩しろ!”の言葉を
素直に聞き入れ手を止めた。

実家に帰る予定があることを思い出し、
気分転換に帰省中にどこか面白そうな場所がないかと検索を始めた。

その瞬間、ネットニュースのタイトルに「30年」という文字があった。
何の30年?と思い、そのリンクをクリックした。
次の瞬間、時間が巻き戻るような感覚に包まれた。

「阪神淡路大震災から30年」。

文字が静かに画面に浮かび上がる。
私は、記事を読む事なく
急いで阪神淡路大震災がいつ起きたか調べた。
1995年1月17日

そうか…30年前の今日だったのか。
すっかり忘てたなぁ

当時の自分は、高校受験真っ只中の中学三年生だった。
いつものように寝ていた朝、
たった15秒の揺れで世界が一変させられた。

私の住んでいた地域は震源地から少し離れてという事もあり、
地域一帯の被害はまだマシ
そしてありがたいことに家族も無事だった。
だが、あの日目にした壊れた街並み、人々の悲しみ、
そして漠然とした不安、そのすべての光景は心に深く刻まれていた。

それから1月17日を見るたびに思い出していたが
しかし…今年、私はその日付を忘れていた。
何かネットニュースで見て“そういえば…”ってレベルではなく、
記憶になかったかのように、忘れていた。

検索して気づくって…
こりゃ、老化ってやつ…かな?

こんな自分に驚きと少しの罪悪感を覚えたが、
それと同時に奇妙な感情が芽生えた。

“忘れれる”っていいなぁと
“忘れれる”って幸せなことなんじゃないかなぁと

もちろん、覚えている事の方がいい。
忘れることは悲しいし、そして罪悪感もある。
けど、“忘れれる現状”って、とても幸せなことなんだろうと。

私は震災に遭っても五体満足いられた
そしてその後も家族と共にいられた。
震災後も家が無事で、生活を続けられる事が
どれだけ貴重だったかは、当時、痛いほど感じていた。

もしあの日、たったひとつでも失われていたら、
1月17日は永遠に心をえぐり続ける日になっていただろう。
そして、そういう人がいることもたくさんいる事を知っている。
しかし私は幸運なことに、30年経った今、
1月17日をただの日常として迎えることができた。

記憶が薄れることへの恐れと、
薄れるからこそ見える安堵。

別に震災を忘れるわけではない。
しかし、時の流れが悲しみを癒し、
日々の穏やかさを運んできたことに
30年経った今、気づかされた。

今回、この1月17日を迎え、私は初めて幸せを感じた。
それは30年前には決して味わえなかった感情だった。


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