
“嗅覚”という人間の本能と神秘に触れる
雲ひとつない青空が広がり、冬の名残はすっかり影を潜めていた。
肌を刺すような冷たさはなく、頬を撫でる風には春の匂いが混じっている。
3月1日
清々しく、心地よい一日になるはずだった。
だが、その穏やかな陽気とは裏腹に、私は"本能"というものを目の当たりにすることになる。
いや…人間の奥底に眠る本能を、呼び覚ましてしまったのだ。
私は、スーパーで割引されていた鶏肉を買って帰った。
賞味期限は…3月1日。
賞味期限を考え、急いで開封。
すると、すぐに鼻をつく異臭?
硫黄のような、むせ返るような刺激が走った。
一瞬、「鶏肉ってこんな匂いだったか?」と戸惑ったが、次第に違和感が確信へと変わっていく。
手を洗っても匂いが落ちない。
石鹸をつけ、流水で流しても、皮膚の奥深くにまで染み込んだような嫌な臭いが残る。
この嫌な予感を無視できずに調べると、「食べるな」の警告が目に飛び込んできた。
急いでスーパーに電話をすると、交換対応してくれるとのこと。
しかも、わざわざ家まで来てくれるらしい。
とにかく腐敗臭を封じ込めようと、鶏肉をビニール袋に押し込み、
まな板やシンクを洗い、窓を開け換気を試みる。
しかし、臭いは消えない。
むしろ、どこにいても鼻をついてくる気がする。
アルコールで拭き、漂白し、天日干ししても、まな板から漂う気がしてならない。
何これ…。
腐敗臭ってこんなにすごいの?
よく刑事ドラマで、人が腐敗している現場に捜査する描写があるけど
鶏肉でこんなだったら、もっとすごいってこと?
にしても、このにおいっていつまでするんだ?
もしかして鼻が壊れたのか? それとも…
頭に“本能”の文字が浮かぶ
恐る恐る、においと本能について調べる。
人間の嗅覚は、単なる感覚ではなく、本能と密接に結びついているとのこと。
腐敗臭に対して強い嫌悪感を抱くのは、進化の過程で獲得した危機管理本能の一環。
食中毒を避け、命を守るために、腐ったものに対して敏感に反応するようプログラムされている?
すごいね、人間の鼻って。
さらに、嗅覚の情報は、大脳皮質を経由せずに大脳辺縁系へ直接伝わるんだって。
これは、感情や記憶を司る脳の領域であり、においが長期的な記憶として刻まれやすい理由だ。
俗に「においの記憶は強い」と言われるのは、まさにこのためである。
においの記憶は強いって言われてたの?
なんとなくは感じてたけど…。
「プルースト効果」という現象もある。
ある特定の香りが、一瞬で過去の記憶を呼び覚ます現象だ。
例えば、幼少期に祖母が焼いてくれたクッキーの匂いを嗅ぐと、その時の情景や気持ちまで鮮明に蘇ることがある。
プルースト効果…。
馴染みのない言葉なのに、馴染みがありまくる現象。
なるほど!だからか…って、例はいい感じの記憶だけど
今の私はその逆を体験している!!
腐敗臭の記憶がこびりつき、食欲が完全に失せてるんですけど!!!!!
そう考えているうちに、店員さんが到着し、鶏肉を回収・交換。
新しい鶏肉を手に取ると、すぐに異変に気づく。
色が違う。
透き通ったドリップ液。
さっきの鶏肉は濁り、黒みがかっていた。
やはり、明らかに腐敗していたのだ。
これで安心…のはずなのに、
まだ鼻の奥にまとわりつく異臭の残像が消えない。
この長期記憶って……いつまで残るんだ?
今の私は、生存本能によって食欲を完全にシャットアウトされた状態だ。
危機管理能力と嗅覚の記憶が、私をグロッキーに追い込んでいる。
しかし、時間が経てば、別の本能が勝つだろう。
そう、生存本能のもう一つの側面…飢え。
腹が減れば、食べる気になるはずだ
人間は結局、本能に支配されている。
匂いが本能を狂わせるなら、飢えがそれを上書きするしかない。
それにしても、誰かに学んだわけでもないのに
まるで息するかのように発揮する本能。
本能、紡がれ続けた人間の進化の神秘に心打たれながら
腹が減るのを待っている…。