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ホツマ標(しるべ)~ホツマ読み解きのへそ~② 「たつ」「弁天」「八大龍王」 <111号 令和2年10月>

 龍神に対して、わたしたち日本人は畏怖と畏敬の念を合わせ持ちますが、ホツマを解読するとその理由がわかります。

 アマテルの治世の泰平を脅かしたハタレの乱では、人の心に巣くう「驕り、妬み、恨み」が、わだかまって集団憑依を引き起こした顛末を記しています。とぐろを巻いてその中心(ハタレネ)に蠢いていたのは、オロチと云う大蛇形態の魔物でした。ホツマでは「ふたオロチ」としてモチコとハヤコ姉妹の悪心が変化した九頭龍(コカシラオロチ)と八岐大蛇(ヤマタオロチ)を詳細に伝えています。

 「おろち」は「劣った/曲がった・霊」を意味し、人の道を踏み外した実力者のなれの果てです。(「おろち」の真反対が高千穂の「たかち/高靈」)。元々は、捻曲がった精神状態を表現する言葉であったものが、その精神状態が姿そのものも変化(ヘンゲ)させ、蛇体となった魔物を「おろち」と呼び畏れたのです。

 真逆に、「たつきみ」「たつたのかみ」と記される龍神があります。家出して貴船神社に引き籠もってしまったトヨタマヒメに寄り添い、ニニキネは、優しく励ましながら「たつきみ/龍君」の修行についての話を聞かせます。竜の子は

千年(千穂)海に棲み、波乱を知り

千年(千穂)山に棲み、順境逆境を経験し

千年(千穂)里に棲み、出会いと別れ、執着と解脱

を修行して、たつのなかのたつ、即ち龍君、「たつた/龍魁」の神となると、説明します。

 「海千山千」というと現代では、世の中のオモテ裏に通じて、悪賢くしたたかな人物、という形容に使われますが、「ホツマ」では、真直な修養を意味していたようです。

 「みづち」は、海での修行中にある未熟な「たつ」であり、海を時化らせたりと、悪さを働かせることもある存在です。日本書紀や万葉集でも「みつち/蛟」として、退治される「水棲の物の怪」として記されます。ちょうどそれは、土中で、「おころのかみ/いかすりかみ(坐摩神)/土地の守神」に成れなかった未熟な「おころ」に相対する存在と云えましょう。

 龍神としての弁財天

 それでは日本人が畏敬する龍神は、「たつきみ/たつたかみ」のことなのか、と云うとそうではありません。龍神の聖地に立つ説明看板や解説書による案内では、主に、次のような説明がなされています。

1.九頭龍神 2.弁財天神 3.八大龍王

 まず、1.九頭龍神は、元は「おろち」であったモチコ即ち「モチオロチ」のことですが、戸隠神やソサノヲ子孫によって鎮魂され、善神として生まれ変わった神格を(本来なら)崇敬している祭祀であると考えられます。戸隠神社や岩木山神社や箱根神社での関連社祭祀などがそうです。

 つぎに、2.弁財天神は、ほぼ全て、瀬織津姫神を祭ったものです。(日本三大弁天ほか)。そのなかには、ハヤコの三姉妹(宗像三神)を庇護して養育した瀬織津姫が、それら三姉妹によって(理想『女の慎み』の女神として)尊崇され祭祀されているものがかなりあります。(この故に、セオリツの名前でなく三姉妹の名前が御祭神として祭られている)。

 龍神とされるのは、「さくなだり」の形容尊称をもつ瀬織津姫が、「みそぎ祓い」霊験のある水神として崇敬されたことが基です。神仏習合により弁財天(水神)と混同されたことにより助長され、さらに「宇賀神」という蛇体の神が組み合わされ、蛇体表現が横行して今に至るという経緯があります。

 蛇体(龍体)なのはいかがなものか、と思いますが、瀬織津姫を天地人に精通した「龍神」として畏敬することは、合点がいくものと思います。

八大龍王と八幡神

 前項の3.八大龍王は、仏説天部(仏教を守る護法神)の神々ですが、やはり仏説でも水神です。ですが、日本で古代から祭られるそれは、元は、「八幡神/やはたかみ」と同じ、トホカミヱヒタメの「天元神/あもとかみ=八元神/やもとかみ」が、おおもとです。

 「八幡」は天の中心(天御祖神)から八方に拡がる光を表現したもので、「やとよはた」とも称されます。それは天界(宇宙=サコクシロ)を象徴するものであり、神格としては具体的にはトホカミヱヒタメの八皇子です。天の中心を守護し、その威光と恵みを全方向に満ち足らす働きは、「天に祈る」そのまさに究極の祭祀対象です。

 「天に祈る」ことは高天の(皇室の)専権ですが、民は、天の恵みを乞い祈ります。八元神の恵みは、地上においては「やまさかみ/八将神」の御神徳として具現されます。恵みの神や慈雨の神をもともと祭る習俗が、後に仏教と習合して、八大龍王信仰となっていったとみることが出来ます。

 龍神の御神徳は深く、恵みの神であり、福徳の神ですが、あくまで「祓い浄め」の「慎み」の向こうにある福徳です。財運・色欲など「欲し」を願うと「おろち」に落ちる危険があることを心に留めましょう。

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 初春の言祝を謹んでお届け申し上げます
快晴順風の佳き歳迎えでした。旧年中のご厚情に感謝申し上げます。
皇室弥栄、天下泰平をお祈り奉り、みなさまのご多幸を祈念します。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 さて、十二支では辰年のあとに巳年が巡ります。在野の民俗学者として多大な功績を遺した吉野裕子氏はじめ本朝学会では「日本の蛇信仰」を重視する方が少なからずいらっしゃいます。シナの伏羲と女媧であるとか、ウロボロスであるとか、ヘルメスの杖とか、世界神話的には「蛇」が神聖であり、呪力を持つ存在として伝承されます。
 ホツマでは、ヤマトモモソ姫が櫛笥の中に変化したオオモノヌシ神として「コへヒ=小蛇」を観た記述以外には、神聖(そう)な蛇という表現は見当たりません。蛇体の存在としては「オロチ」がありますが、これは「ねたみ・そねみ」の権化となった邪悪な存在であり、「八岐大蛇」「九頭龍」も悪の権化です。
 聖なる蛇体存在としては、「タツ(タツキミ)」が君臨します。「オロチ」と真逆な存在です。「タツキミ」は、海と山と里で各千年も修行を積んで天にあがった善神です。「未熟なタツ」として、山には「オコロ」海には「ミツチ」があります。さらに「ウツロヰ」という雷神兼地震神がありますが、これが「蛇体(龍体)」のような形状の存在なのか、そもそも可視的な存在なのか、どうもホツマでは記述がハッキリしません。
 ところで、大和言葉の「キミ」を漢字変換した際に「王」という文字を置いた場合がよくあり、「オオ(ホ)キミ → 大王」と漢字表現されています。なので、「八大龍王」も本来は、「ヤツオオタツキミ」であったと思われます。そして、(ややこしいけれど)それは「八将神(ヤマサカミ)*」ではなく、「八つの大いなる天の(天に昇った)カミ」を意味しており、即ち「八元神(ヤモト神)・天元神(アモト神)」つまり「トホカミヱヒタメ」の八神であると観て良いでしょう。
(*「八将神」とは、風神・水神・火神などの自然神)
 ともあれ、平穏な一年を祈りますが、巳年の本年はやはり激動の一年となりそうです。

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