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みそぎ祭り 無魔成就
24年前、ふとしたきっかけで祭りの再興に取り組みました。
谷川健一編『日本の神々』(白水社)を愛読して伊豆駿河箱根の古社巡りをしていたわたしは、地元の神社に古式を遺す神事があることを知り、それに関わりたいと申し出ました。でも、誰もそのお祭りを知りません。実は、大東亜戦争の末期に沼津大空襲があり神社も神輿も全焼し、それ以来途絶えていたのです。半世紀以上前に消えてしまったお祭りだったのです。
けれども、当時の老人会の長老が「祭り好きな変な青年」の噂を聞きつけてわたしを呼び出しました。そして、わたしを神社の禰宜さんに紹介し、「どうだ、この男にやらせてみないか」と話が勝手に盛り上がったのです。
10月も既に終わりかけの頃でした。神事の祭日は、新春正月の十五日。当時はまだ成人式祝日が、十五日で固定されていました。あと三ヶ月ありません。
わたしは京都生まれの大阪育ちで、沼津に越してきてから10年も経っていません。同窓生はもちろん、友人知人も仕事関係しかいない男です。朝一番に魚市場で魚を仕入れ、深夜の営業が終わって洗い物をしてゴミ出しするまで働きづくめの38歳でした。事業経営者だったので、従業員はいましたが、社長の趣味につきあわせるわけにはいきません。
仕事で付き合いのある地元小新聞の広告会社員に相談してみたら、「いつもネタを探している地元情報枠があるから、話してみるよ」と応援を快諾。早速、小さな記事が出ました。11月の中旬です。祭りまで二ヶ月。
図書館で沼津市史の分厚い文献を探したり、教育委員会に電話して調べますが、誰も具体的なことを記録したりしていません。お店の休憩時間に地元の長老達を人づてに訪ねまわり、微かな記憶を聞き取りしてメモしていきました。65歳の人でさえ、当時は小学生。「すごかった。二階から覗いてると叱られた。天狗が怖かった」くらいの記憶です。
でも、道順や行列の様子を少しずつイメージで再現し、祭りの原型を設計していきました。お店の内装業者に依頼したら、神輿も造ってくれました。天狗(猿田彦)の後ろに渡御して「とっても神々しかった」と記憶されていた「大榊の神輿」が出来上がりました。
小さな新聞記事を見て、4人の問い合わせがありました。沼津御用邸地区の青年会(既に解散されていたので元青年会)会長と、沼津神輿連合会の会長、地元の古い石材屋の若社長、観光協会の若手スタッフでした。まったく面識無い彼らでしたが、気持ちよく手伝いを申し出てくれました。
顔合わせをしたのは、12月の初旬でした。
神輿連合会の会長は「沼津の祭りは小さくなったり無くなったりする話ばかり。新たに立ち上げるなんて、どんなバカな男か見に来たよ」と言って強く握手してくれました。祭りまで一ヶ月。
大晦日の夜、小さなB6版の一色刷のチラシを手に、深夜の初詣に列をなしていた神社氏子のみなさんに挨拶してまわりました。「お祭りを復活させます。是非あそびに見に来て下さい」と。みんな、ポカーンとした反応でした。
そして迎えた祭りの当日。気持ちの良い晴天、でも風が冷たい浜辺でした。
元青年会会長が声がけしてくれて、町内会長たちも立ち会ってくれました。地元ケーブルテレビも取材に来ています。緊張です。みそぎ、などというものもわたし自身初めての経験なのですから。無我夢中でしたが、精一杯の雄叫びで神輿を天に捧げあげました。
「よかろう!」と云う声が耳の奥底で響き、全身が弾かれたように震えましたが、ただ冬の海が冷たくて震えただけ、かもしれません。
潮波に洗われた神輿を担いで浜に戻ってきたわたしたち「神男」を、浜で見物していたおばあさんたちが、迎えて下さいました。両手を合わせて祈り、なかには涙ぐんでいる方もいらっしゃいます。「ありがとう」という小さな声が響きます。
神輿連合会の会長がグッと差し出した茶碗酒を呑み干して、何だかとても高揚したわたしは、誇らしいような、涙がこぼれるような、清々しい気持ちでした。
その時以来、回を重ねて24回。沼津の三大祭りの一つとして数えられるようになり、「沼津の宝100選」に選ばれ、今回は千人以上のご参加を得ました。
あな、ありがたや!
沼津には、海軍工廠があり、被爆の後を調査すると、確実に「狙った」ことが明らかだったといいます。深度の深い奥駿河湾では、人間魚雷回天の初期実験がなされたり、美しい淡嶋では、音響兵器開発がされていたといいます。空襲のあった7/17は、奇しくも祭りの主祭神社である楊原神社の例大祭の「裏日(半年後)」でした。その日から、80年。被災されたみなさまの御魂の鎮魂をお祈りします。
この祭りを継承し、平和な海を、守っていきたいと堅く思います。
供奉頂いた神男のみなさま 祭典実行委員会のみなさま 来賓ご来場のみなさま
ありがとうございました♡