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駒形一登 全仕事 0015
ものざね 2014-01-30 02:54
高校受験の日、その日の弁当を開けてみると、飯の上に四角い海苔が5枚 (実話)。
五角 → 合格。
この弁当は「合格」を祈願する「物実 (ものざね)」だったのである。
柊鰯も同じ。
門を開いて角を開き、汚穢を払ってヤワシと繁栄を願う物実が柊鰯。
ひらき (開き) → 開運
ひらき (平き) → 平穏
ゐわし (斎し・祝し) → 繁栄
ゐわし (忌し) → 穢の祓い
ゐわし (和し) → 一家円満・平穏
その実 (心) を写した物体 → 柊鰯 (物実)
@gejirin1 Twitter 2014/01/30
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ワカのマジナイ 2014-02-01 02:38
ワカ姫の斎名 (いみな:諱) が「ひるこ」であった。
「斎名」とは「斎む名・尊ぶ名」という意味で「本名・実名」のこと。
『生む時に 昼なれば 名も ヒルコ姫』ミ1
とあり「昼子」の意であることがわかる。
「昼」は「日霊」と同じで「太陽のエネルギー放射」の意。
「ひるこ」は非常に別名の多い姫で、「わか姫」「わかひるめ」「たかてる姫」「したてる姫」「にふの神」「としのり神・みとし神」とも言う。
記・紀では、「蛭子」は障害未熟児として葦舟に流されるので、その時点で消滅するが、「ひるこ」への信仰は上記の名でいたる所に生きている。
ホツマ・ミカサの話は違う。
『ひるこが3歳になる年、父イサナギは42歳、母イサナミは33歳で、陽陰の節 (今にいう厄年) に当り、その汚穢・隈が子に障るというので、イワクス船に乗せて厄を水に流す。カナサキ夫妻がそれを拾い、西殿で育てる。』
西宮神社の蛭子伝説と比べたし。
だからヒルコはその後も生存し続けている。
『汚穢・隈に捨つ ヒルコ姫 いま慈しに 足り至り 天の愛妹と ワカヒルメ』ホ3文
「イワクス船に乗せて流す」というのは、厄を流すための儀式だったのだ。
「イワクス」というのも「汚穢消す」また「斎み清める」という心の物実である。
ヒルコは「わかひるめ(稚日女尊・稚日靈女尊)」という別名を持つ。
これは「わか(分)」+「ひる(日霊)」+「め (妹)」の意。
「わかひる(分日霊)」とは「太陽の分け御魂」であるアマテル(天照大神) を指し、その妹ということ。
『天の愛妹と ワカヒルメ』ホ3
実際には姉なのだが、最高位にある天つ君の兄弟姉妹の場合、年上であっても弟・妹とするようである。
「わかひるめ」にはもう一つ重要な意味があるのだが、これは説明が難しい。
興味のある方はこちら http://gejirin.com/mikasa10.html を読まれたし。
ヒルコは成人してアマテルの近くに侍り、大功を打ち立てる。
その代表が、「まじないによるイナゴ祓」に見られるように、歌 (言葉) の力よって汚穢や曲りを治す方法を確立したことである。
日本には豊穣の神はあまたいるが、人として作物の守護神となったのは、ヒルコが元祖である。
そもそも「ましない」とは「申して打つ」ことであり、「言葉を発して何かに当てる」という意味。
まじないによって物理的な効果を引き起こす、これがヒルコが確立した歌の道であった。
ヒルコはこの奥義を『くもくしふみ (雲櫛文)』(意味は「隈消し文」) という書物に著している。
ヒルコは晩年、この『雲櫛文』を歌の弟子である「オクラ姫(大倉姫)」に、「シタテル姫(下照姫)」の名とともに伝授している。
奈良県御所市の「大倉姫神社」は、別名「雲櫛社」とも呼ばれる。
オクラ姫の襲名した「下照姫」と、タカ姫の襲名した「高照姫」は他文書では混同が激しい。
「シタテル姫(下照姫)」「タカテル姫(高照姫)」もヒルコの別名なのであるが、二号はその意味する所を解けていない。
ただ「シタテル」の名は「こと(言)」に、「タカテル」の名は「こと(琴)」に関係があるのかなと、漠然と考えている。
「高=天」「下=地」の意も当然あろうし。
古今集仮名序に和歌について次の文句がある。
『この歌、天地のひらけ初まりける時より出でにけり。しかあれども、世に伝はることは、久方の天にしてはシタテル姫に始まり、あらかねの地にしてはスサノヲの尊よりぞ起こりける』
この「シタテル姫」こそ「ヒルコ(ワカ姫)」なのである。
また「としのりかみ(歳徳神)」「みとしかみ(御歳神)」の名もある。
「とし(年・歳)」は「たっし(達し)」と同義で、「達成・成果・収穫」、「1サイクルの完成」の意である。
だからマジナイで害虫を祓い、収穫を可能にしたワカ姫を「達成の守」「大歳の守」と讃えたのである
最後に「にふのかみ(丹生の神)」という名がある。この意味を説明するのも簡単ではない。
これは「わかひるめ」のもう一つの意味とほぼ同じで、「にふ(和ふ)」とは「やわす(和す)」と同義である。
興味のある方は http://gejirin.com/mikasa10.html を読まれたし。
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和歌の源になった「ワカ姫 (=ヒルコ)」だから、多くの歌が残っているように思えるが、以外にも1歌しか登場しない。それがイナゴを祓うマジナイの歌である。
たねはたね うむすきさかめ
まめすめらの そろはもはめそ
むしもみなしむ
これは32音である。32音は祓の歌という。
その理由は、
日月の運動周期の違いにより、1ヶ月=32日になって陽陰の節が乱れることがあり、これが汚穢・隈の発生源となる。
これを「みそふ(禊ふ)」のが「三十二(みそふ)」の言葉であるのだという。
「みそふ(三十二)」の歌を、同音の「みそふ(禊ふ)」の物実とする。
「みそぎ(禊ぎ)」の動詞形として「みそぐ(禊ぐ)」という語が辞書にあるが、ホツマには「みそぎ」は出てきても「みそぐ」という動詞形は出てこない。
思うに、ホツマでは「みそふ」を「みそぎ」の動詞形として用いている。
また「みさほ(操)」も「みそふ」の名詞形と見ていいかも。
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ワカ姫のマジナイ効果をさらに高めるため、「ヒノキ製の扇にヒオウギの花葉を貼り付けてあおぐ」という行為も同時に行われた。
この扇は「おしくさ(押草・押腐)」と呼ばれるが、やはり言霊発動の物実である。
現在でも「田扇」、また熊野那智大社の「扇祭」の風習として遺っている。
「ことたま(言霊)」とは文字通り「言葉が持つエネルギー・力」である。
日本語を構成する48音 (今にいう五十音) は、ホツマでは四十八神 (よそやかみ) と呼ばれ、それぞれの音は万象を生む神である。
人は言葉によって万象を認識しうるのであるから、ある意味当然といえる。
「おしくさ(押草/押腐)」とは「ヒノキ製の扇にヒオウギの花葉を貼り付けてあおぐこと」であった。
まず「ヒノキ」は「放の木」で、本来は「(匂を) 放つ木」の意と思われるが、この木を「(汚穢を) 放つ」という言霊の物実としている。
その扇の羽は四十八神の48枚とした。
次に「ヒオウギ」は「日の出の如き赤花と扇状の葉を持つ植物」。
日の出の如き赤い花が終ると真っ黒な種を結ぶ。これは昼が終れば夜が来るという、日・月(陽・陰)の循環を象徴する植物。
「汚穢の根本は陽陰の節の乱れによる」との思想から、ヒオウギをその乱れを直す物実とした。
また「おうぎ(扇)」は「あおぐ(煽ぐ)」の名詞形であり、「あおぐ」とは「高める・勢いづける・栄す」の意。
よって「扇であおぐ」という行為を「枯れた稲を勢いづける」という言霊の物実としたのであった。
@gejirin1 Twitter 2014/01/31
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六甲山 2014-02-01 02:43
実はワカ姫のイナゴ祓いには、アマテル(天照大神) の中宮であるセオリツ姫も参加している。
紀の国にイナゴ発生の知らせを受けたイサワ宮のセオリツ姫は、アマテルが不在のため、30人の青侍を率いて紀の国に向かう。するとそこにはワカ姫が一足先に到着していたというわけだった。
セオリツ姫はそこでワカ姫の奇妙な行動を目にする。ヒオウギを貼り付けた扇であおぎながら、意味不明の歌を歌っている。
しかしその奇行にただならぬ何かを感じたセオリツ姫は、30人の青侍を左右に並べ、ワカ姫とともにその歌を合唱させる。
360回繰り返すとイナゴは去っていった。
紀の国は凶作を免れた。二姫の功績を称え、また豊作の守護として2つの宮が紀の国に建てられる。「タマツ宮」と「アヒノマエ宮」である。
以後ワカ姫は「タマツ宮」を住まいとした。「アヒノマエ宮」は紀の国懸 (地方の政庁舎) とされた。
今の玉津島神社と日前国懸神宮である。
「タマツ宮」(玉津島神社) については
『ワカ姫の 心を留む タマツ宮』ホ1文とあり
「タマツ」の意味が「たもつ (保つ)」「ため (溜め)」であることが窺える。
ワカ姫はこの宮で最期を迎えているようだが、アマテルの遺言から察すると、墓地は「広田/西宮」かも。
「あひのまえ宮 (天日の前宮)」の「天日」とは「アマテル」を指し、「前」とは「前に居る者・向かう者」の意。
これは「日に向かつ姫」の別名を持つ「セオリツ姫」を指す。縮めて「ムカツ姫」、また「日の前」とも呼ばれる。
彼女もまたアマテルに「広田に行け」と遺言されている。
その遺言とは、
『また后 ヒロタに行きて ワカ姫と 共に妹心 守るべし』ホ28
これにより、廣田神社の祭神は「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」なのであり、この名は「ムカツ姫」を指す。
したがってその墓所も「広田/西宮」付近にあることが推測されるが、ここには六甲山がある。
以下は大江幸久先生の御説であるが、二号も賛同するものである。
「六甲山」は、かつては「ムカツ峰」「ムコ山」などと呼ばれた。つまり六甲山の名は「ムカツ姫」が源であると推測される。
そしてこの山には「六甲比命神社」がある。この社名が「ムカツ姫」を指す可能性は非常に高い。
-wikipediaより抜粋-
この地帯は古くから「むこ」の名称で呼ばれ、武庫、務古、牟古、六兒、無古などの字が当てられており、『日本書紀』神功皇后摂政元年の条には「務古水門(むこのみなと)」の記載がある。
六甲山全山はかつて廣田神社の領地であり、吉田東伍『大日本地名辞書』の「広田神社」の項に、祭神名の撞賢木厳御魂天疎向津比売命と関連して「向津は武庫津というに同じ」とあり、廣田神社祭神向津姫(瀬織津姫)との名称の一致がみられる。
「六甲」の字が当てられるのは比較的最近で、元禄時代にできた『摂陽群談』に見られるのが初期の例であり、享保年間の『摂津志』には「武庫山一名六甲山」の記載が見られるという。
二号はよく知らないのだが、六甲山には東六甲と西六甲があると聞く。
この双子のような山の一方に「六甲比命神社」があるとして、もしもう一方にワカ姫を祭る神社があったなら、おもしろい。
東西の六甲山はムカツ姫とワカ姫の墓山である可能性が一段と高まる。情報があればぜひ下さい。
@gejirin1 Twitter 2014/01/31
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ヒルコ 蛭子 (昼子)。
イザナキ夫婦の第一子。ヒルコは斎名と思われる。
別名:ワカ姫、ワカヒルメ、シタテル姫、タカテル姫、歳徳神、年の恵みの大御守、御歳神、ニフの尊。
ツクバのイサ宮で生まれる。昼に生まれたのでヒルコ。3歳になる年、父は42歳・母33歳の陽陰の節に当たり、その汚穢・隈が子に障るというのでイワクス船に乗せて流される。カナサキ夫妻に拾われ、西殿で育てられる。
アチヒコ(オモイカネ) と結婚し、タヂカラヲを生む。
ヤスカワでアチヒコと共にオシホミミの守役を務める。
ワカ歌と八雲琴の名手。
各地の生田(イクタ)神社に、稚日女尊(ワカヒルメ) の名で祭られる。
タマツ宮で最期を迎え、ヒロタの地に葬られたもよう。
■かなり時代が下ってからヒルコに蛭子の文字を当て、蛭子はヱビスと読めるところから、クシヒコやツミハのヱミスと融合してえびす様として信仰されるようになったのだろう。
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ワカヒメ 稚日女尊 (沸姫・若姫)。
ヒルコの別名。押し草と祓いの歌によって、枯れた稲を「若返らせた」ことによる名。
またアチヒコに恋心を「沸かせた姫」の意。
和歌はワカ姫の名に因む。
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ワカヒルメ 稚日女尊 (分日霊妹/吾が退る女)。
ヒルコの別名。
汚穢隈に捨てられたヒルコは、西殿でカナサキ夫妻に養育され、あめ晴れてアマテルの妹のワカヒルメとなる。「ワカヒル」は「分日霊」でアマテルのこと。「メ」は妹。
(実際には姉であるが、最高位にある和つ君の兄弟姉妹の場合、年上であっても弟・妹とするようである。景行天皇とヤマト姫の間にも同様の例が見られる。)
もう一つ「我がひる女」で “自分が相手に譲って和を求める女” という意があり、これはニフノカミ (和の守・柔の守) と同義。
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シタテルヒメ 下照姫 (仕立てる姫)。
ヤスカワでアチヒコと共にオシホミミの守役を務めたヒルコの別名。
皇太子オシホミミを「仕立てる姫・育てる姫」の意。
この名は後にオクラ姫に譲られる。
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タカテルヒメ 高照姫。
タカテルは「(日が)高く照る」の意で、つまり「ヒルコ(昼子)」の言い換えと思われる。
この名は後にタカコに譲られる。
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ニフノカミ 丹生の神。仁布の神。(和・柔の守)。
ヒルコが御柱木に歌を委ねて、神から賜った名前だという。授与した神が、何神かは不明。
『和道に 心つくせ と 和の守 陽陰の教えに やや覚めて 和し笑はす』ミ和字
『御柱木 和心移す 器物 その神形に 進め乞ふ 深き旨ある 染札を 委せ 賜る 和の守』ミ和字
『ここにヒルコは 鋳物仕に 金紋鋳させ あまねくに 教ゆる御名も ワカヒルメ 和の功 大いなるかな』ミ和字
★『丹生都比売神社由緒』丹生都比賣大神は、天照大神の御妹神で、また稚日女尊とも申し上げる。
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駒さんは、女神のなかでは「ワカ姫が最も好みだった」と、とらさんは推察しています。
1. ワカ姫は、ウタの女神であり、音声の神髄をつかむ知性にあふれていたから
2. ワカ姫は、凜々しい女神であり、激しい気性にあふれていたから
3. ワカ姫は、捨てられ、そして拾われた数奇な運命を持っていたから
という点が、駒さんの琴線にふれたのでしょう。
駒さんは、わりと「キツメ」の女性タイプが好きだったようです(笑)。そして、捨てられて、拾われて、歌聖として成熟していったその生涯を、やはり実社会から捨てられて、ホツマに拾われて、ウタとネコエ(音声)の神髄を究めることにイノチを削った駒さん自身の生涯に、重ねて観ていたのではないかと思います。
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「さかしさ」「けだかさ」は、まさにワカ姫の魅力でもありますね。 ↑
「ホツマツタヱを誰に読ませたいですか?」と、もしも質問されたら「柳田國男」と迷いなく、とらさんは答えるでしょう。