【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㉘「くも」と「くま」 <116号 令和3年8月>
ヤマトタケは、何故遺言で「雲居に待つ」と告げたのでしょうか。これを考える際に理解しておきたいのは、「雲」と「クマ」の近似です。
クマは現代キャラクターとしては愛くるしい存在ですが、実際に人里に現れると忌み嫌われる害獣です。ホツマの「クマ」は、「隈」「苦魔」と漢字表現するような、遠ざけたい存在です。地名の「熊野」は、「シムの蝕み=宿命的穢れ」によって荒れていたソサノヲが犯した罪をイサナミが封じ込めた「禁忌地」を意味します。「曲がったもの」「歪んだもの」「暗くこびりつくもの」が、「クマ」です。
「クモ」は、「クマ」の流動的な状態のものを表します。「まま」は天、「もも」は地、なので逆のような気もしますが、クモは、浮かんで流動的なクマであるようです。蜘蛛(蜘蛛の巣)が、まさに象徴的な存在で、「イノチ=命」を「クマ=苦魔」に絡める危険性がある、兆しがある不吉な状態が、「クモ」なのです。
ですが、不吉なだけではありません。その「魔境/穢れ」を自覚すれば祓除くことができる瀬戸際が、「クモ」なので、自覚、自省次第なのです。「叢雲の剣」は、その魔境を切り開く剣ですし、「イヅモ出雲」という地名は、その魔境から脱出する決意を込めた命名です。「八重雲」とも云うべき深い闇から妻子を護り、ひとたみを守り抜くという決意を「八重垣」に込めたソサノヲの心情は、「クモから逃げない」「宿命をのりこえる」と云う誓いにあったのでしょう。
『わかうたの くもくしふみは オクラ姫 授けて尚も シタテルと』ホ9
和歌の極意を伝える秘伝書に「クモクシ」と云う命名が為されているのは「クモ」を祓う「拉ぐ」ことに和歌の神髄があると認識されていたからです。
ヤマトタケが「雲居に待つ」を詠った真意は、「自身の中にあるクマから逃げない」「人間世界にあるクマから逃げない」と云う誓いにあります。
仏説で「菩薩」と云う存在があります。「悟りを開いてなお天界入りをせず、衆生を救うために地上世界で修行を続ける存在」をいいます。つまり、この辞世の句「アツタノリ」はヤマトタケの菩薩宣言とも云えるのではないでしょうか。
本来なら敬愛する神々の如く磐座に隠れ、祭られるべき偉業を為したヤマトタケ。野垂れ死で終焉を迎えたが、ウタの力で魂を解いたのだと思います。
(駒形「ほつまつたゑ解読ガイド」参照)
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ソサノヲが甦りを祈願した「八重垣」とヤマトタケが再生を祈願した「八重雲」。その結びつきの奥底に、「雲とクマ」があります。
「クマ」とは、「熊野」の「クマ」であり、「宿命としてのオヱクマ」です。逃れることの出来ない「大罪」のようなものが「クマ」なのです。けれども、キリスト教の「大罪/原罪」とは違って、神との契約違反ではありません。生まれながらにもつ罪という概念は、我が国にはありません。神の子として生まれ、ケガレなき身であったのに、自らが過ち犯し、「犯した後で気づいた罪」を「クマ」ととらえていました。
ソサノヲもヤマトタケも、我が身の「クマ」から逃げませんでした。我が身の「クマ」から目を背けて逃げていると、実は苦しみから逃れられません。真実の「祓ひ」は、「クマ」の自覚、直視、猛省、償いにこそあるといにしえの神々は教えてくれます。
「暗殺」と「大儲け」。一粒で二度美味しい、ことを画策していた(かも知れない)巨悪の勢力は、「クマ」に気づくことがあるのだろうか?
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