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駒形一登 全仕事 0014

あわうわ     2014-01-29 17:58

「きつさね」は「東西南北」を表すが、元来の意味は「起尽栄寝」。
 
自然の順序は「東南西北 (起栄尽寝)」。「起-盛-熟-死」という「あめなる道」のサイクルを、太陽の勢いとその位置で表す。
 
注意すべきは、「つ (尽)」は「尽き滅ぶ」ではなく「満ち至る」の意であること。

「起-盛-熟-死」の意味では、「東南西北」は「春夏秋冬」とまったく同じ。だから「東宮」を「春宮」とも言う。
 
「あめなるみち (陽陰和る道)」は、陽陰の結合と分離によって万物万象が「起-盛-熟-死」の循環を繰返すことをいうが、ホツマは人についてもその輪廻転生を明言する。

「あわうわ」は「あわうひ」の変態と思う。これは原始宇宙が陽と陰に分離する前の半混沌状態を表す言葉で、陽の元となるものを「あわ (泡)」、陰の元となるものを「うひ (泥)」と表現している。
 
これが今「あやふや・うやむや」に訛ったと思われ、「混沌・無秩序・始まる前・曙」などの意。

「きつ (起尽)」と「あわうわ」をこのように理解すれば、ミカサフミ「きつよちのあや」にある、
 
『きつのはしめの あわうわや』
の意味が少し明らかになる。
 
『人生の起りと満ち、これもそのスタートは混沌からである』
 
ここで混沌とは、まだ物心つかない赤子のさまを指す。

「あわうわ」に続いて「てふち しほのめ」と来る。これを「手打ち 潮の目」と解釈する向きが多いと思う。
 
二号が疑問に思ったのは、なぜ「てうち」でなく常に「てふち」と表記されるのか、ということであった。また「しほのめ」の辞書の説明は、ホツマの文脈にそぐわないように思えた。

そこで二号はこれを「長ぢ 初の目」と解釈した。
 
「長ぢ」は 今の「長じ」で、「長じる」の名詞形である。つまり「成長」。
 
「初の目」は「初めて見ること・目が開くこと」である。
 
「ちょう (長)」「しょ (初)」は音読みで中国語起源じゃないかと、みんな言うと思う。

しかし音訓の別は、長い間「そうだろう」と、無批判に信じ込まれてきたことで、実はさしたる根拠のない区別であることの手掛りを二号は得ている。
 
例:
「ぶとう (舞踏)」の「とう」は、「とふ (跳ぶ)」なり。
 
辞書に「ちょう【跳】テウ」とあり、【跳る】はオドルと読む。

また「しおらしい」は「初らしい」の意ではないだろうか。
 
この「しほ・しお」は「しふ」の名詞形だが、「しふ」は「しむ (染む)」「そむ (染む・初む)」の変態で、「始まる・始める」の意である。

すると『あわうわや てふちしほのめ』は、
 
『混沌状態が進展成長して目が開く』と理解できる。
 
これは「右も左もわからぬ赤子が、成長して目が開いて物心がつく」と解して良いと思う。
 
さらにミヲヤの宇宙創世の過程が、そのまま人にもあてはまることを言ってるように思う。

おそらく『あわうわや てふちしほのめ』は格言のようなものになったのだろう。
 
狂言歌謡
「てうち潮の目あわわ、かぶり潮の目」
 
【ちょうちちょうち‐あわわ】大辞泉
幼児をあやすときのしぐさの一。「ちょうちちょうち」に続けて、その手を口に当てながら「あわわ」と言う。

そしておそらく「しほのめ」は「しののめ (東雲)」と同じ。
「開き・明け・開始・開眼」を意味する。
 
しの‐の‐め【東雲】 広辞苑
1.あけがた。あかつき。あけぼの。いなのめ。
  古今恋「―のほがらほがらと明けゆけば」

@gejirin1 Twitter 2014/01/29

あめわかる をめかやわして  陽陰分かる 男女が和して
あわうわや てふちしほのめ  あわうわや 長ぢ 初の目
わかひはのほる        若日は昇る

なのかほど ししをくわずば しみるひゑ
たけみなかたの ねがひみにしる

こりゃいかん にんにくげふざ たらふくに
くえばみはもゑ よるもねられず

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 「あめなるみち」はホツマの奥義ですが、多くの研究者は「天成る道」と漢字表記します。しかし、駒さんは、「陽陰和る道」と表記します。このあたりが、駒さん理論への「喰わず嫌い」を引き起こしている(かも知れない)難しいところです。
 この小文は、「陰陽原則」を大切にする駒さんの考え方、「言葉の本義」を音声から突き詰め、音訓を超えてその向こうに隠れている真実を掘り出そうとしている研究姿勢がよくわかる一節です。

>「きつ (起尽)」と「あわうわ」をこのように理解すれば、ミカサフミ「きつよちのあや」にある、『きつのはしめの あわうわや』の意味が少し明らかになる。<
 と云うわけで、「キツサネ(東西南北)」の語義から「アワウワ」の本義を探り、その延長上に「てふちしほのめ」という一種の難語を読み解こうとしています。
 「手打ち潮の目」と通俗的に解釈してしまっては、何か見落としてしまうのではないかと、駒さんは投げかけてきます。

 ところで、皆さんもお気づきかと存じますが、駒さんは、ブログの最後になんとも微笑を誘う「ウタ」を書き残す癖があります。そこも、まさにブログ=日誌になっていて愉快ですね。独り暮らしのご様子が伝わります。

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 と云うわけで、わっしも本論に関係なく、気に留めた動画を今日もご紹介します。

 やっぱり、敬愛する総統も ↑ ご紹介しないとね、、、

 そして、このチャンネルも必見です ↑
「逃げる」「騙す」「殺す」の三本柱で魔神となった毛沢東は、同じ行動原理の中共にとっては、やはり鬼神なのでしょう。米露が接近する中で、除け者にされつつあるチャイナですが、「逃げて」「騙す」ことで再び延命するのでしょうか?

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