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駒形一登 全仕事 0006
犠牲者の心 2014-01-09 04:47
【2014/01/06 Twitter投稿より修正・補完 https://twitter.com/gejirin1】
ほとんどすべての人間は自分を哀れな子羊だと思い、その苦しさから救い上げてくれる救世主を待望している。その救世主を下すスーパーパワーが神だと信じへつらう。そうした人間の犠牲者根性を利用しているのが宗教組織である。いくら待っても救世主は現れっこない。なぜならあなたがそれなのだから。
犠牲者根性を持つ者がやることは、自分は無力だと思っているがため、おおよそ「乞食的・寄生虫的・ハイエナ的」であり、「あわよくば儲けよう」「他より一銭でも得したい」である。その数は圧倒的に多く、イナゴのようにすべてを食い尽くす悪魔である。悪魔がまだ自らを憐れみ、救世主を待っている。
あなた一人が犠牲者根性から抜け出すのはそう難しくない。しかし妻子を持つ親としてのあなたには非常に難しい。これまでの家族の生活と自分の立場を守りたいが、自分は無力と信じるあなたは、将来の不安と戦い続けねばならないからだ。よって犠牲者根性=現状保守根性と言い換えることができる。
この不安と戦う武器として金や力への信仰が生まれる。しかしそれらをいくら蓄積しても続々と新たな不安が生まれてきて、ますます犠牲者根性は募っていき、心は解放されずどんどん不自由になっていく。
「自由」とは「守るものが何もない状態」を言う。
あなたは一番愛しているものを捨てられますか?
欲の底には不安があり、不安の底には無力な自分がある。
「無力なあなた」も「不安」もあなたが勝手に心に創造しているものだ。たいした根拠なく信じ込んでいるだけのものだ。違うだろうか?
汝の心は唯一汝の支配下にあり。心は汝の意識なり。意識は汝の宇宙なり。
なれば汝は宇宙の主なり。なれば汝は現実の創造神なり。
宇宙の創造神にどうして欲や不安があろうや。
子羊の 衣の内に 隠る神
脱ぎ捨て出づる 時ぞ来にける
神であることを忘れた犠牲の子羊たちへ
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小噺
一匹の子羊が荒野にさまよっていた。いくら歩いても同じ景色。子羊は必死に天に祈った。 祈りが通じたのだろうか、ある日天使が子羊に現れた。
迷える子羊:「おお天使様!どうかこの迷える子羊を救って下さい。羊飼いの元へ
帰して下さい。」
天使: 「・・・」「まだ迷える子羊やってたんですか?」
迷える子羊:「・・・???」
天使: 「あなたは我々を救うために地球に下りて、迷える子羊を演じ始めた
んじゃないですか。」「でも今回で1,500回目ですよ。」
迷える子羊:「・・・??!!」
天使: 「迷える子羊役は十分楽しんだでしょ。そろそろ神に戻って、早く
我々を救って下さいよ。」
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駒さんのつぶやきをご自身で纏めた小文です。「迷える子羊」の思い違いを指摘した警句「充分楽しんだでしょう。そろそろ神に戻って、早く我々を救って下さいよ(天使)」は、駒さんが、迷える人間どもに喰らわせた鉄槌。
駒さんが、何故ホツマツタヱ伝承に惚れ込んだかと云えば、本来の人間存在の意味を、つまり実存を、ホツマは明確に伝えようとした文献だと捉えていたからでしょう。「神は人、ヒトはカミ」の真実と、その経緯を解き明かそうとした「神人物語」がホツマツタヱなのです。
子羊の 衣の内に 隠る神
脱ぎ捨て出づる 時ぞ来にける
時を待ち、救世主を乞う生き方と決別する時に、本当の自由が生まれて、無限の力が湧いてくる。愛するものを捨てる覚悟を決めた時に、真実の愛が生まれる。なぜ気がつかないの? 駒さんは、わたし達にそう問いかけています。
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まったく本論と関係ないけど、、、
チョウ・ユンファって、こんな素敵な生き方だったんだ、、、、↑