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【ホツマ辞解】 〜大和言葉の源流を探る〜 ㊹「まさこ」 <130号 令和5年12月>
フトマニ歌65番「もやま」は、日本国国歌の源流となる歌です。
『もやまとの みちはつきせし ありそうみの はまのまさこは よみつくすとも』フもやま
この歌では、「まさこ」と云う語が要となっています。「磯の真砂」です。「まさこ」は、ホツマの序文で歌われた和歌でも取り上げられています。
『磯のはの 真砂はよみて 尽くるとも ほつまの道は 幾代尽きせし』ホ序
『かかんなす 春のひとしく 巡りきて 磯の真砂は 磐となる』ホ序
「細石の巌となりて」の原意が、ここに流れているのです。(ちなみに、ホツマ伝に「さされいし」という用例はありませんし、「さされ=細かい」と云う用例も見当たりません)
ホツマの序文(奉呈文)が起草されたときには、フトマニ歌128歌は、既にアマテル大御神編纂で確定していました。故にオオタタネコとオオカシマは、序文に歌を添える際に、このフトマニ歌を念頭に(本歌取りして)「ホツマ」「ヤマト」の弥栄を称えたのです。
正岡子規の代表歌の一つに
真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり
と云う歌があります。
「真砂」は古来「数多い」「尽きない」などの語意を表現する重要語として、繰り返し歌い続けられています。
万葉集では、
紫の名高の浦の真砂土袖のみ触れて寝ずかなりなむ〈万葉集•1392〉
八百日行く浜の真砂も我が恋にあに勝らじか沖つ島守 〈万葉集•596〉(大伴家持へ向けた恋歌とされます)
などの歌がしられます。
もちろんホツマに知悉していた紀貫之も
「山下水の絶えず、浜の真砂の数多くつもりぬれば」〈古今・仮名序〉と、浜の真砂を取り上げています。
昭和26年歌会(お題 朝空)では、
おともなき真砂路ゆけばあさぞらに
むかひてふねはいましいでゆく
と云う歌が詠われています。(崇仁親王殿下お歌)
天下の盗賊として釜ゆでに処せられた石川五右衛門の辞世歌として伝えられるものに
石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ
と云う歌もあるとか。
ひのもとの人のタネは尽きまじ、と信じたいですね。
(駒形一登「解読ガイド」参照)
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1985年(昭和60年)2月26日の閣議で松永光文部大臣は文部省の調査で「君が代」には3番まで歌詞があると報告している。それによれば、
君が代
一 君が代は 千代に八千代に さゞれ石の
巌となりて 苔の生すまで
二 君が代は 千尋の底の さゞれ石の
鵜のゐる磯と あらはるるまで
三 君が代は 限りもあらじ 長浜の
真砂の数は よみつくすとも
である。このうち二番は源頼政のよんだ歌、三番は光孝天皇の大嘗祭に奉られた歌である(ウィキペディア)
この「辞解」で取り上げた歌は、つまり「君が代」の三番歌になるというわけです。ですが、一番歌二番歌三番歌は、すべてひとつの神髄で貫かれているのです。その神髄を謳う、「まさこ(真砂)」と「真砂は磐となる」の本歌が、ホツマツタヱに典拠があると云うことなのです。
「君が代」は、美しい国歌です。他国の国歌が戦意昂揚を謳うものがほとんどであることに対し、我が国の国歌は、太平の世を謳う歌です。そしてその本歌(元となる歌)が、ご皇統の無窮を奉祝するだけでなく、アマテル大御神がそれを明確に顕した「道/天成る道」の無窮を謳う歌であったことを知り、心の底から湧き上がるありがたき歓喜を覚えずにはいれません。
解説はイマイチ中途半端だけれども、世界の国家とはレベチだとわかる↑
尊敬する竹田恒泰さんですが、この解説はどうも、、、まず、君が代は32音です↑