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ホツマ標(しるべ)~ホツマ読み解きのへそ~⑤ 「クニトコタチの八皇子」 <131号 令和6年2月>

ヱ神とト神

 天神初代(アメナナヨ・ナヨノカミの初代)のクニトコタチは、トホカミヱヒタメの八皇子を生んだとされます。

『八方八下りの 皇子生みて 皆その国を 治めしむ これ国君の 初めなり』2文

『クニトコタチの 八下り子 何クニサツチ 八方主と なりてトホカミ ヱヒタメの 国に生む子は 三クダリの 君・臣・民ぞ』18文

 というように「ヤモヤクダリノミコ・ヤクダリコ・ヤミコカミ・ヤモヌシ」などと称される八皇子は、八つのエリアに分かれて「クニ」を治めたと伝えられます。この「クニ」が、現在の日本国内だけを指すのか、あるいは海外の国々をも含むのかホツマ研究者によって議論は分かれるところとなっています。

 ですが、

『神 元明に 還えますを 御祖 言宣り 星となす 天に篝りて 九の一つ 故にト下の 天の宮』ミ5文

『クニタマ(地球)八方に 万子生み 果つにヲウミの ヱトの子の ヱ皇子 上に継ぎ ヲウミ治す ト皇子の統む ト下国』ミ6文

 などのミカサフミの記述により、トホカミヱヒタメの長男とおぼしき「ヱ」皇子は琵琶湖周辺を都として、弟格の「ト」皇子は、富士山周辺(ホツマ国)を都として定めて開拓したと基本的には理解されています。

シナ神話の仙人と「カ」皇子

 八皇子の中で、(現在の)日本国外のエリアにいらっしゃったと読み取れるのは、「カ」皇子の系統です。

『トコタチの 八方をめくりて 西の地 クロソノツミテ 「カ」に当る 名もアカガタ(赤県)の トヨクンヌ 代々治むれど』15文

 このクダリの「カ」を「西」の意味だけでなく「カ」皇子と解釈すると、シナの神話古伝にある

・アカガタを【赤県神州】セキケンシンシュウ=中国のこと とみなし

・クロソノを【玄圃】ゲンポ=崑崙(こんろん)山上にあるという仙人の居所 と考えて

・トヨケに師事したウケステメを【西王母】セイワウボ=中国に古く信仰された女仙。桃にまつわる伝承がある。 と結び合わせて

「カ」皇子の子孫がシナ大陸を統治していた読み解くことが出来るからです。

タカミムスビとヒタカミ

 一方で、

1.ヒタカミクニ(日高見国)は、「ヒ」皇子と「タ」皇子の系統が協同して統治した国である、という解釈

2.タカミムスビの称号は「タ」「カ」「ミ」各皇子の系統を統合(ムスビ=結び)して統治した業績を称えて与えられたものであるという解釈 があり

 1.2.を合成して「カ・ミ・ヒ・タ」の四皇子の系統が合流したとみる読み解きをされる研究者がいます。

さらに、

3.「ヒタカミ」が、そもそも四皇子の名を合わせた国名であるという解釈 もあります。

「ホ」神と「ミ」神

 所在不明な「ホ」皇子について、その系統は「穂高」に残るのではないかという解釈もあります。穂高岳を神山と仰ぎ穂高神社周辺にその国があったのではないか。穂高神社は安曇野の地にあるので琵琶湖阿曇族すなわち「ヱ」皇子の系統と親和性があったのではとみる読み解きをわたし宏道はしています。(東三河の「穂国」とみる解釈もあります。)

 東国ヒタカミに統合された(かもしれない)「ミ」皇子について、諏訪湖盆地周辺がその故地ではないかとわたし宏道は考えています。国譲りで諏訪に移封されたタケミナタカ神ですが、諏訪には地主神「ミサクチ」神がいました。ミサクチ神を祭る神社では国常立神を祭っていることが多いのですが、「ミサクチ」とは、「ミ」皇子の系統ではなかったか、とみるわけです。

 本州はフォッサマグナで東西が隔てられているのですが、「ホ」神は、「ヱ」神系の西国系で、「ミ」神は「ト」神系の東国系と考えることも出来るかもしれません。

中国、四国、九州の神は何神?

 ここでそもそも一つの疑問が湧きます。前述の比定に拠れば、ほとんどの神々が近畿以東に比定されているからです。中国、四国、九州の国々には八皇子の故地はなかったのでしょうか。

『東のトコタチや その御子は アメカガミ神 ツクシ治す』2文

『ウヒチニ儲く この御子は アメヨロツ神 ソアサ治し アワ・サク生めば』2文

 タカミムスビ系の始祖になるキノトコタチの息子であるアメカガミがツクシ(九州)を統治し、アメカガミの息子のアメヨロヅがソアサ(四国)を治めたと伝えられています(アメヨロヅがウビチニの養子となった説)。ちなみにアメヨロヅの孫皇子がイサナギです。

『アワナギは 北の白山麓 チタルまで 法も通れば 生む御子の 斎名タカヒト カミロギや』2文

アメヨロヅの息子のアワナギ(イサナギの父神)がネ国(北陸地方)からチタル(中国地方)までを統治したとホツマは伝えます。

つまり、ヒタカミ国を建国したハコクニ神は、後に「東のトコタチ」と尊称される初代タカミムスビを生んだのですが、その息子(二代タカミムスビ)の兄弟の系統が中国、四国、九州方面を総統治したというわけです。ハコクニ神の流れを原文から抽出すると次の通りになります。

『トコヨ尊 木の実 東に 植えて生む ハコクニの神 ヒタカミの タカマに祭る ミナカヌシ』2文

『タチハナ 植えて 生む御子の タカミムスビを 諸 称ゆ 東のトコタチや』2文

『真榊を ハコクニ宮に トコタチの 植えて国名も ヒタカミの タカミムスビの 植継ぎの 二十一の鈴の 百枝後』28文

              

         

実質的に日本統一始祖神となるハコクニ神

 天神六代のオモタルとカシコネの治世に世継ぎが無く混迷した日本を再建したのは、イサナギとイサナミの両神。そのプロデューサーは第五代タカミムスビのトヨケ神でした。この三神の始祖がハコクニ神であり、ハコクニ神の流れで、ヒタカミ、ネ国(北陸)、チタル(中国)、ソアサ(四国)、ツクシ(九州)を既に(両神活躍以前に)統治していたのです。

 それだけではないかもしれません。ホツマ国の領域は時代によって変遷するのですが、筑波山をホツマ国の東部領域と考えるとこの系統はホツマ国にも関わりがあったと観ることが出来ます。筑波山は、トヨケ神の愛娘イサナミの故地ふるさとであるからです。

 このように考えると、日本統一始祖神であるハコクニ神とは、あまりに最強の神です。一体どのような出自であるのかと謎めいてきます。

ハコクニと箱根

 ハコクニ神が前述のようにホツマ国とも関わりが深かったと考えると、ふと気になるのは、ハコクニとハコネの響きの共通です。

 箱根の名前は、ハコネ神と尊称されたオシホミミ尊にちなみます。伊勢の道、夫婦の道を「はぐくむ」根となる神との意味を持つという「ハコネ」神。オシホミミは、その終焉の地を箱根の地に選びました。何故、箱根の山を選んだのでしょう。

 箱根の駒形岳は、ハラミヤマ(富士山)を仰ぐ山です。父神アマテルを尊崇し、父が学んだヒタカミ国に治政の都を置いた駒形神オシホミミ。多賀の地からヒタカミに遷座する際に、ホツマ国に立ち寄り、箱根の峠で振り返り、父神を象徴するハラミヤマを遙拝したのでしょう。その美しさ、神々しさが強く印象に残り、箱根を奥津城に選んだと考えることも出来るかもしれません。

 けれども、箱根とハコクニのつながりを深読みして、ハコクニが建国したヒタカミ国を(一時的であっても)日本の中心とした駒形神オシホミミです。ハコクニの故地を「ハコクニ神の根」として箱根を顕彰、称えたいと考えて箱根を選んだとしたらいかがでしょう。

 わたし宏道は、箱根とその東方の相模原がハコクニ神のゆかりの地ではないかと考えてみました。相模は橘の国です。ハコクニ神はその橘をヒタカミに移植してヒタカミ国を建国したと考えてみたのです。

(ホツマ伝承に拠れば、相模のサガムの地名はアマテルとハヤコの三つ子姉妹にちなむ。また、橘の国の名の起こりはオオヤマスミ系マウラの業績にちなむとされる。けれども、日本原産の「橘」原種は、現在、沼津市の旧戸田村を原生地とするとされています。元々は、伊豆半島ほか黒潮海流沿いに自生していた柑橘と考えられます。列島の温暖期にその橘をハコクニ神は東北の地に移植したのでしょう。)

ハコクニ神は「ト」神系?

 ハコクニ神の流れで誕生したアマテル大神。両親のイサナギとイサナミはその誕生をハラミヤマに登拝してアメミヲヤに祈りました。アマテルが生まれたのもハラミヤマ山麓と読み取ることが出来ます。(アマテル誕生地は、北麓説と南麓説が研究者によって分かれています)

 成長して親元を離れたアマテルはハコクニ神が建国したヒタカミ国に留学してトヨケ神の帝王教育を受けます。そして一人前になったアマテルは「ト」皇子のゆかりの「トシタ宮/斗下宮」を再興する大志を抱いてハラミヤマ麓に「ヤスクニ宮」を開きます。これが「ハラミの宮」であり「サカオリ宮」です。この宮の正式名称は、(おおやまとひたかみのやすくにのみや/大弥真斗日高見靖国宮)」です。この命名は、「トの国にヒタカミ由来の泰平の宮を建立する」という意味が込められているようにも感じられます。

 ハラミヤマは、いうまでもなくホツマ国の象徴となり、ひいては日本国を象徴する山です。そして、そこは「ト」皇子の本貫地でもあります。その再興を意図したアマテルの意志は両神の意志に通じ、トヨケ神の意志にも叶っていたと思われます。その大いなる意志の根源は、ハコクニ神でしょう。では、ハコクニ神は、「ト」皇子系であったのでしょうか。

 ハコクニ神が「ト」皇子系であった可能性はありえますが、嫡流ではありません。嫡流は、トヨクンヌ→ウビチニ→ツノクヰ→オモタルと続いて、天神六代のオモタルの代で世継ぎが途絶え、断絶したことは前述した通りです。

ハコクニ神は「タ」神系?

 ハコクニ神が「ト」皇子系の庶流であって(宏道説では)箱根山と相模原を故地としていたけれど、「ト」皇子嫡流が断絶したので、その再興をトヨケ神プロデュースで企図した、と考えるのも面白いですが、「タ」皇子系の流れをもつと考えることも出来るでしょう。

1.「タ」は「タチバナ」の「タ」であり、

2.タカミムスビは、「タ神」が結び主

3.ヒタカミは、「日の出づる」「タ神」の地

と解釈することも出来るからです。

 そもそも、トホカミヱヒタメを方角として考えると、「タ」は「東」に当たり、ヱ国(琵琶湖)、ト国(富士山)の東の箱根相模ととらえることもできます。ハコクニ神の(宏道説による)本貫地・箱根相模は、「東国」すなわち「タ」方面なのです。

 つまり、「東のタ神」が、さらに日の出づる地(仙台平野=東北地方最大の平原)へ東遷して(本貫地ゆかりの)「タチバナ」を移植して、「ヒタカミ国」を建国し、「キノトコタチ=東のトコタチ」と尊称されて「タカミムスビ」初代となり世襲化したとみるわけです。


まとめと異説

 (「アメカガミとアメヨロヅは親子説」に立てば)日本全土は、ハコクニ神系統でほぼ統合(東北から北陸関東中部東海を経て中国四国九州まで)されました。

そのそれぞれの故地は、「ト」(富士山周辺)、「ホ」(松本盆地から中仙道で東三河まで?)、「カ」(不詳、後にシナ?)、「ミ」(諏訪盆地?)、「ヱ」(琵琶湖周辺)、「ヒ」(仙台盆地?)、「タ」(箱根相模?)、「メ」(手がかり無し)、というあたりが、「八皇子がすべて日本国内を故地とする仮説」の展開となります。

 しかし、本論冒頭で触れたように、八皇子の故地は日本国外にこそあるという説に立つ研究者もいます。事実、「ヱ神」(琵琶湖)「ト神」(富士山)以外には、日本国内で故地が明確に記述されている八皇子はいないのです。

『クニタマ八方に 万子生み はつにヲウミの 兄弟の子の 兄御子 アに継ぎ ヲウミ治す 弟御子の統む ト下国』ミ6文

 国内説では、あまりに東日本に偏るという点にも深い疑念が残ります。つきましては、「ホツマ標⑥四国九州の謎とアカホヤ大噴火」をご参照ください。

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 ホツマツタエ伝承では、地球上に降り立ったクニトコタチ神は八皇子を生み、それぞれが分割統治したと伝えられています。
 「トホカミヱヒタメ」の八皇子が、各々「何処を」統治したのか、これについては研究者により大きく見解が分かれます。この論考では、主な論説を取り上げるとともに、独自の見解を提示してみました。ただし、これらはどれも原文によって証明できる根拠がなく、すべて仮説に過ぎません。
 また、八皇子の統治範囲が、日本列島に限られるのか、また、その場合に北海道や沖縄諸島が含まれるのか、あるいはアジア広範囲に拡げて考えるべきなのか、もしくは地球全体で想定すべきなのか、これもホツマ原文では証明できません。
 「竹内文書」のような「五色人」的表現は、ホツマには見えません。けれども、ハタレの叛乱などでは、「外来勢力の侵攻」ともとれる記述があり興味深いところです。
 また、九州四国の扱い方に微妙な「空白」があり、これには、謎を感じさせます。そのことについては、また次のテーマで、、、

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 本ブログで、たびたび引用させて頂いた『ほつまつたゑ解読ガイド』運営者の駒形一登先生が、急逝されました。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
 同い年で、親しくさせて頂いてたご厚情に感謝し、先生が遺された偉大なるご業績にあらためて深く頭を下げ、祈りを捧げたく存じます。

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 話は、まったく飛びますが、、、
 愚生は、毎朝の散歩と太陽拝と禊ぎ、そして夕刻の長湯をこよなく愛している者です。これは、日本人が古来、あたりまえのように嗜んできた、ならいごとです。毎日の日課とすることで、極めて快活な日々を過ごしていますが、その効用については、もしかするとトンデモナイ意味があるのかも知れません、、、
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 生きてりゃ丸儲け♡ です
もう一度、暮らしぶりを見つめ直して、明るく元気に生きていきたいですね

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