岩田さんの「リスク・コミュニケーション」入門を読んで(続き)
リスク・コミュニケーションとは「相互作用の過程」ということでした。つまり単なる「危険性を伝えるコミュニケーションの技法」ではありません。それはコミュニケーションの送り手や受け手が置かれた立場や背景も含む、幅広い概念だと思われます。そのような通常のリスク・コミュニケーションとは別に、岩田さんの本に書かれている「リスク・コミュニケーション」とはどんなものかを知るため、第1章を読んでいきます。読んでいって特に気になったところを指摘してみます。
実際に災害が起きているとき、危機が間近に近づいている際に行われる緊急時のコミュニケーションは、リスク・コミュニケーションではなく「クライシス・コミュニケーション」と呼ばれます。ここで挙げられている例は、一般にはクライシス・コミュニケーションと呼ぶのが正しいと思われます。通常はクライシス・コミュニケーションはリスク・コミュニケーションと大きく異なる性質を持ちます。
一般大衆には科学的知識が欠如しているので、それを補うために専門家がコミュニケーションを行う、という態度は「欠如モデル」と呼ばれます。科学的思考プロセスが苦手な一般大衆でも、時間をかけて丁寧に説明すれば理解できるはず。科学的な思考プロセスを理解できれば説得できるはず、という考え方もこの欠如モデルがベースにあります。岩田さんの「リスク・コミュニケーション」では「理解してやるもんか、という決意を持っている人」は「リスク・コミュニケーション」は存在し得ません、と切り捨てられてしまいます。その一方、そのような人がなぜその決意に至ったのか、という背景をも考えるのが通常のリスク・コミュニケーションです。
科学者がデータ捏造を行なったり、利害が絡む業者と癒着していることが明らかになれば不信を感じるのは当たり前のことです。これは一般大衆に科学知識があろうがなかろうが関係ありません。データ捏造を行なっていない、業者と癒着していないということを証明するのは科学者や専門家側がやらなければいけないことです。もし不信を抱かせてしまうのであれば、それは科学者側に落ち度があります。データ捏造は「科学者への不信」であり、「科学では説明できないこともある」といった「科学への不信」とは異なるのではないでしょうか。
科学者が信頼されないなら、有名人を使って説得するとよい、と主張されているようです。頻繁に見聞きしている事柄には親近感を抱きやすいという調査があり、それは「単純接触効果」と呼ばれています。単純接触効果はテレビコマーシャルに代表されるようなマーケティングの基本でもあり、政治家の選挙運動もこの原則で行われます(テレビによく出る人が選挙に強いのはこの効果のせいです)。単純接触効果は視聴者に商品を買わせるときには有効な手法です。このような手法を「感染症」という、人命に関わるような問題にも推奨するのが岩田さんの「リスク・コミュニケーション」のようです。説得はしやすくなるかもしれませんが、他に適切な手段があるときにあえてこのような手段を推奨するのは問題があるように感じます。
このような記述を見ると、岩田さんの「リスク・コミュニケーション」の特徴が浮かび上がってきます。それは「一般大衆は科学的な思考プロセスが苦手なので、単純接触効果やクライシス・コミュニケーションのような手法も使わないといけない」というものです。誤解なら良いですが、この考え方がリスク・コミュニケーションの「入門」として広がるのはいかがなものかと思いました。
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