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自分より優れた存在を従えることはできない

自分より優れた存在を従えることはできない。例えばCHATGPTが素晴らしい回答をした所で、その回答の素晴らしさを理解できなければ活用できない。CHATGPTが手取り足取り自分の行動を全て指示したのだとしたら、それを従えると呼ぶことはできない。逆にCHATGPTの操り人形になっている。なので、今後AIがどれだけ進化しようと、自分が理解できる範疇でしかAIを使いこなす事はできないのである。だからまだ勉強する余地は残っている。まぁ、CHATGPTの完全なる操り人形になった方が高い成果が出せてしまうくらいに進化されたら、もうどうにもならないが。ともかく、AIが出す回答を解釈して正しいのか判断する力、出された回答を基に高いパフォーマンスを出せるかどうかは自分次第なのである。AIは自分の補助や劣化版の分身にはなってくれるだろうが、それ以上にはなれない。自分で責任を持って何かを行わなければいけない限り、自分が出す正解は自分で決めねばならない。だから、自分で考える事ができて責任が取れる人間はますます高い成果を出し、CHATGPTが出した答えだから正しいはずだ!(自分にはよく分からないし、理解する気もないけれど)という人間はAIに淘汰されていく。何故なら使えない人間を仲介するよりもAIと直接やりとりする方がコストが低いし効率的だからだ。自分がいるからこその価値を見いだせなければ自分に金は降ってこない。金を巻き込み集めるには自分がその中心にいなければならない。だから、AIによって面倒は減るかもしれないが、決断と責任の面倒さについてはまるで減らない。判断材料を集める手助けにはなっても、最終的な決断は自分でやるしかないのだ。AIが責任感や判断力を鍛えるトレーニングを施せるようになれば多少は変わるのだろうか。人間がAIを作り鍛えたのだから、AIが人間を鍛える機能があってもいいかもしれない。それこそ理想の社会ではないだろうか。最終的にはAIが残るだろうが、何もAIが台頭してきた初期時代から人間が白旗を振ることもないだろう。AIを知り、作り、鍛える事で自分を知り、鍛える事だって可能だろう。いつか死ぬから今死ぬ人がいないように、いつか人間の時代が終わるからと言って今人間の時代を諦めるのはおかしい。そのくらいの気概で向き合っていけば、多少なりとも前向きさが出てきて、それが意欲、判断力、責任感に繋がっていけばいいのだが、その辺どうなんだろうね。巷ではCHATGPTが出した回答をそのまま上長に提出するような人もいるらしいという話に驚いて色々書いたけれど、最近あんまりAIを使っていない私は私で問題だよなぁと思う今日このごろである。結局何に役立てていいのか分からないんだよなぁ。

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