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「寝るのが気持ち良い」って話には同意できるが、寝るの概念は厳密に共有されているのか?

寝るのが気持ち良いという意見は大いに同意できる。しかしながら私は眠っている数時間の間の記憶がない。ガッツリ夢を見るタイプではないし、見る夢の大半は悪夢だ。だから仮に10時間眠ったとしても、その間の記憶は10分程度だろう。そうなった時に、寝るのが気持ち良いという表現は果たして正しいのだろうか?厳密に言うならば、眠りにつく前のベッドにいる時間と、眠りから目覚めた後の脳がスッキリした感覚の事なのではないだろうか?この辺って全人類、認識は共通しているのかが知りたい。眠るのが好きって人の中には、もしかしたら明晰夢の人なんかもいて、見ている夢を自在にコントロールして幸せな時間を数時間も味わっているからこそ、眠るのが楽しいと言っているのかもしれない。はたまた、眠っている間も、眠っている感覚を体感する事ができる人がいて、幸せな感覚が数時間続いているから眠るのが好きなのかもしれない。そう考えると、私の言う「眠るのが好き」ってのは、どうにも浅くて薄くてつまらないものになってしまう。眠るという行為をもっと存分に楽しめている人がいるかもしれない。外見からは伺い知れないけれど、明晰夢の力を使って、毎日映画一本分くらいのエンターテインメントを味わっているのかもしれない。その辺は、科学技術で脳波とか色々調べれば分かるのかもしれないが、私の脳は明晰夢を発揮できる程のイメージ力がないし、あった所でハリウッド級の映像を毎日出荷するだけのアイデアはないからどうにもならないだろう。これから科学技術が進めば、目を開けなくても、脳に直接映像を流し込むことなんかができるようになるのではないだろうか?そうなれば、明晰夢の能力がエンターテインメントのアイデアなんかがなくとも、毎日の夢を見るという行為が超一級の映像作品に成り代わるかもしれない。それに夜とか休日に費やしている娯楽の時間を全て寝ている時間に当てる事ができるから、クオリティ・オブ・ライフが向上し、仕事に当てられる時間も増えるからGDPってやつも上昇するに違いない。休み時間は睡眠時間で済ませましょう!なんて文化が来るかもしれない。どうなんだろうか、それよりも先に人類が働かなくても済むような時代が来て欲しい所でもある。とはいっても、人類が一日中何もしなくても平常心を保てるかどうかは難しい所だから、なんらかの労働みたいなものは残り続けるのだろうなぁ、と思う。生産性がなくとも生きがいが欲しいのが人間だ。ってな訳なので、この先科学技術が発展しても、忙しくあり続ける人間は発生するだろう。そして自称忙しい人間とマジで忙しい人間にとっては、夢のような道具になるかもしれない。寝ながら映像が楽しめる道具のデメリットは、本当に眠れているのかって話と、意識が朦朧としている時に布教動画みたいなものを流されてしまう事だろう。広告とかを無意識で眺め続けたら、人間はあっさり洗脳されてしまうのだろうか。恐ろしい事である。やはり、朦朧とした状態で情報を入れるべきじゃないなぁと思う今日このごろである。


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