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自分が生きた証を残したいなら、作品を作れ

自分が生きた証を残したい。

自分という人間がいかに儚く、いかに虚しいものかを知った時、大概の人は子供を欲する。それが多少なりとも、自分の儚さを薄めることを無意識的に知っているからだ。

仮に子供を産み育てたとしても、そのサイクルが永遠に続く保証はない。考えたくもない話だが、自分よりも先に亡くなってしまう可能性だってある。

自分がこの世界に残すものなんて、よくて数百年しか残らない。それも、この「よくて」は偉大なクラシック音楽家レベルの才能を持っていればの話だ。その偉大なクラシック音楽家の作品だって、1000年後も残っているかは分からない。

凡人である人間がこの世に何かを残し続けようとするのは、そもそも間違いなのかもしれない。それでも人生の虚しさを少しでも解消するためには、何かを残す行為をとるしかない。それができないなら虚しさを受け入れて悟るしかない。

愛する人がいて、互いに子供を望んでいるのならば、子供を残すのも良い選択肢だろう。きっと人生に彩りと喜びを与えてくれるだろう。苦しいことが重なる可能性もあるが、何もない人生よりかはマシかもしれない。

それができないのならば、創作活動をするべきである。それは知ってる誰かに向かってでもいいし、どこかの誰かに向かってでもいいし、自分に対してでもいい。その作品は、よほどの才能がない限り、情報社会のこの世の中では埋もれてしまうだろうが、それでも「自分がこの世界に何かを残した実感」は得られる。

それが凡人ができる、足掻き、である。それはとてもか弱くか細く儚く虚しい。すぐに消えさるだろうし、大宇宙の歴史においては砂粒である。それでもその砂粒程度の人間一人にとっては、それでも自分が拡大したような錯覚を得られるだろう。多少なりとも満ち溢れた気分になれるはずだ。

その振れ幅はきっと本当に少ない。でもやらないよりかはマシだ。

大宇宙の歴史においての画竜点睛にはなれないだろうが、自分の人生のハイライトにはなるだろう。

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