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欲しかったのは子供じゃなくて使命なのか

人が子供を作る理由は様々だ。
・好きな人の子供が欲しかった。
・好きな人と一緒に居続けるため。
・家族や世間の期待に応えるため。
・相手の地位や収入を手にいれるため。
・避妊をしなかったため。

理由は色々あるだろうが、子供そのものが欲しいのではなく、「子供を産み、育て、守る」と言う使命が無意識的に欲しいと思っていたから作った人もいるんじゃないだろうか?

彼女ができたばかりの男子中学生が「俺がお前を守るから」と、しきりに言うようなもの。今の時代、何から彼女を守るのか曖昧であるが、それが太古からの生活の上で遺伝子に刻み込まれた本能なのかもしれない。

同様のプロセスが、社会性を帯びた時、子供を作って育てる、と言う社会的使命に準ずるのかもしれない。守る対象は子供だけではなく、国家も含められているのかもしれない。

そうやって、自分の人生に目的や理由を付与してあげないと、精神が持たない人もいるのだろう。何のために生まれるのか分からず、何故か苦しみ、いつか死んでいく、という空虚を解消するための手段なのだろう。

これだけ豊かで、まともに働かなくても豊かに暮らしていける現代。さらにはAIの発達もあり、知能面でも人間を超える存在が育ってきている。
つまりは「何もしなくていい時代」なのである。
頑張らなくては生きていけなかった過去とは真逆の苦しみにより「自分探し、生きがい、幸せの追求」なんかのテーマが盛り上がるようになる。

子育ても、その一貫として求める人がいても不思議じゃない。上っ面の理想論ならば「私欲を捨て、子供の為に無償の愛を捧げるために子供を産む」なんていうのだろうが、現実はそんなに綺麗な話ばかりじゃない。

無論、自分の人生に使命が欲しいために子供を作ったとしても、その子供を大切に育てる分には何の問題もないだろう。むしろ真っ当な側の人間だろう。

ただ、自分がなぜこうしたのか、と言う理由を覚えておかないと後々面倒なことになり、無理な理屈をこねくり回して合理化をしてしまう気がする。

少なくとも、自分がやりたくて始めたことを恩着せがましく言うのは間違っている。

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ホツカツカサ
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