一番おいしいかき氷屋さんって?
「結局、一番おいしいかき氷ってどこのお店のもの?」
「一番のおすすめはどれ?」
と、よく訊かれる。
この回答は、「ない」になってしまう。
この質問は、
「一番上手い歌手は誰?」
「一番素晴らしい絵は?」
「一番美しい場所はどこ?」
と聞かれるのと同じくらい困る。
主観的な意見でも答えられない。
なぜなら、かき氷の「おいしさ」は無限だからだ。
スイーツ系、フルーツ系、さらにはおかず系まで――。
同じ系統のかき氷でも、構成次第で全く違う味わいになる。
さらに言えば、同じ店のかき氷であっても、素材の状態、気温、タイミング、そして削り手の技術によって、味わいは驚くほど変わる。
だから、「フルーツ系が好きなのか」「おやつ系が好きなのか」だけでなく、
「爽やか系?」「どんなテイスト?」という細かな好みで、
その人その時によっての「一番おいしいかき氷」は変わる。
そもそも、「おいしい」という感覚そのものが、科学的に解釈するのは難しいとされている(京都大学, 伏木, 2003)。
評価者によって「おいしい」は大きくぶれる。
生理的要因、文化的要因、情報要因等、「おいしい」の感覚を刺激する因子はさまざまである。
私自身も、「おいしい」と感じる基準は、その日の体調や気分で大きく揺れ動く。
とはいえ、こんなことをいくら語ったところで、きっと身もふたもない。
そこで、これまで2150杯以上のかき氷を食べてきた私の独断と偏見で
「おいしいかき氷の構成要素」を考えてみた。
完全に素人の観点なのでご容赦していただきたい。
おいしいかき氷の構成要素とは?
料理の専門家でもない私が、かき氷について語るのは少しおこがましいかもしれない。
でも、今まで「おいしい!!!」と心から感動したかき氷の記憶をたどると、そこにはいくつかの共通点があった。それを大きく3つにまとめてみた。
1つ目は、削り方のクオリティ。
これが何よりも味に影響する重要な要素だと思う。
ふわっと口の中で消える氷の感触、シロップが浸透しつつ、やわらかい口当たり。そして、全体の形を保ちながらも崩れにくい――。
これらは削り手の職人技だ。
正直、食べている途中で崩れてしまうと萎える(食べる方のマナーや工夫ももちろん必要なことは前提)。
でも、やっぱり匠が作るかき氷は違う。崩れず、やわらかく、それでいてふわっと消える。
その絶妙なバランスは、削り手の技術と敬意を感じさせる。
だから、かき氷は量産できないし、職人が成熟するのに時間もかかるからチェーン展開できないんじゃないか、というのが持論である。
2つ目は、素材の質。
おいしいかき氷は、氷自体から違う。
高純度の氷は、いくら口に入れても「キーン」とならない。
市販の氷や水道水では作れない透明感と滑らかさがそこにある。
シロップも同様である。
長い時間をかけて仕込まれた手作りのシロップは、それだけで特別な存在感がある。
果物を熟すまで待つ、素材を厳選する――そんなお店で盛られたフルーツは驚くほど甘く、新鮮で香り豊かだ。
さらに、デコレーションに至るまで手作りのお店では、どのパーツを食べても「おいしい」が詰まっている。
3つ目は、構成の妙。
美味しいかき氷には、計算された「化学反応」がある。
甘味、塩味、酸味、旨味、辛味――これらが絶妙なバランスで彩られている。
さまざまな要素が組み合わさることで、1杯の中に新しい発見が生まれ、味覚が楽しい変化を見せる。
これらを計算つくす企画力と創造力、センスは飲食店を長年されてきたプロにしかできないと思う。
おいしいかき氷をつくるのは職人技
こうして言語化してみると、改めて感じる。
かき氷1杯には、作り手の不断の努力がぎゅっと詰まっているのだと。
削る技術の研鑽、素材の仕入れから仕込み、そして当日の完成までの手間――。
これらが積み重ねられた1杯が「おいしくない」わけがない。
そんな職人の熱意に感謝しながらいただくかき氷は、私にとって特別だ。
食べるたびに胸が高鳴り、感動が広がる。その高揚感が、かき氷の最大の魅力なのかもしれない。