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雑学マニアの雑記帳(その25)月夜

1974年に木星の13番目の衛星が発見された時、天文ファンとしては新発見に大いに沸いたものであった。地球には衛星(月)はひとつであるし、火星の衛星もフォボスとダイモスのふたつと決まっている。さすがに木星は大きいだけあって、衛星の数も多いなと思ったものである。1610年にガリレオが4個の衛星を発見して以来、360年余りの期間に、さらに9個の衛星が発見されたことになる。
ところがその後、衛星発見のペースは一気に加速した。望遠鏡の高性能化によって暗い天体も観測できるようになったり、木星探査衛星による観測も行われるようになり、次々と新たな衛星が発見されていった。2019年現在、79個の衛星が発見されている。新しく発見された衛星の大きさは、直径が1キロから2キロ程度の小型のものがほとんどであるため観測は難しく、一度観測された後に見失ってしまうケースもあったようだ。
2000年に発見された衛星ダイアは、その後消息不明となってしまい、2010年から2011年にかけてようやく再発見されたという歴史を持つ。その間、「大型の衛星ヒマリアに激突・消失したのではないか」という説まで出た程であった。衝突というと滅多にありえないもののように思われるが、1994年にはシューメーカー・レヴィ彗星が木星に衝突するという出来事があった。この彗星は、かつて土星の近くを通過した際に軌道が大きく変化して木星方向に向かい、木星の重力に捕獲されて木星の周りを周回するようになり、ついには木星本体に激突することとなった。木星の衛星の多くは、木星の重力に囚われた小天体なのかもしれない。
さて、ここで少し視点を変えてみよう。仮に、我々が木星の表面に立つことができたとしたら、どのような星空が見えるのだろうか。もちろん、星空を構成する太陽系外の星々は、地球上から見た場合と変わりはないはずである。違うのは、木星の上空には多くの衛星(月)が見られることだ。四個のガリレオ衛星に限ってみても、木星上から一番大きく見えるイオの視直径は約〇・五度、つまり地球から見える月や太陽と同程度の大きさとなる。木星でも夜空に「月」を見ることができるのだ。
それだけではない、エウロパとガニメデの視直径はイオの半分程度、カリストは三分の一程度であるので、やや小ぶりではあるが、これらの「月」も夜空に輝くことになる。タイミングによっては、東の空に四個の「満月」が大小とりまぜて輝く姿が見られることになる。あるいは複数の「三日月」が西の空に並ぶこともあるだろう。そんな景色がみられたら、さぞ壮観ではないだろうか。
そう思うと、地球に月がひとつしかなかったのは残念な気もする。多少小さくても良いから、もうひとつくらい月があれば、大小ふたつの月が地上を照らすといった賑やかな星空を楽しめたことだろう。何年かに一度は、中秋の名月の際に大小ふたつの満月が並ぶ姿が見られたかもしれない。
あるいは、月がひとつであったとしても、その軌道がもっと離心率の大きな楕円であったらという想像も楽しい。月が地球を周回する軌道は、楕円といってもかなり真円にちかいものであるため、地球と月との距離も大きく変化する訳ではない。それでも、地球に近い位置で満月になる時には「スーパームーン」などと呼ばれて注目されている。これがもっと歪んだ楕円軌道となれば、同じ満月でも、例えば、我々が今見ている月の二倍の大きさから半分の大きさまで、大きな振れ幅を持って変化して見えるような現象が起きるはずだ。そのくらいダイナミックに月の大きさが変化したら見応えがあるに違いない。
さらに別の軌道を想定してみよう。もし地球と月との距離が今よりもずっと近かった場合だ。もちろん、月の重力の影響が大きくなって潮の干満も激しくなるだろうが、空に浮かぶ月の様子もずいぶんと違ってくるはずだ。地球との距離が縮まればケプラーの法則により、月の公転周期は短くなる。例えば丁度一日で地球を一周すると考えてみよう。すると、静止衛星と同様に、地球から見た月の位置は一点に固定され、ほとんど動かないように見えるはずだ。仮にそれがニューギニア付近の赤道上空であれば、日本から見た場合、毎日、昼でも夜でも常に南の空に月が出ていることになる。しかも、新月から半月(上弦の月)、満月、下弦の月を経て、また新月に戻るまで一日しか要しないことになる。
夜明けに南の空には下弦の月が輝き、太陽がさし昇るにつれて欠けていき、昼には新月となる。そして午後には三日月となり、日暮れには半月となる。夜になっても南の空の同じ位置で輝き続ける月は、次第に半月から満月へと変化していくことになる。毎晩、深夜には満月が輝き、そして明け方に向けて再び欠けていく様子を眺めることができるはずだ。常識では考えられないような月の見え方であるが、太陽系の歴史の中で何かしらの要素が違っていたならば、そのようなことになっていた可能性もあるのだ。
もし、そのような状況であったなら、ヨーロッパやアフリカでは月を見ることができず、夜は常に闇夜となる。大航海時代になるまで、ヨーロッパに住む人々は、月の存在すら知り得なかったことだろう。地球の裏側への旅行が可能になってからは、わざわざ日本やオーストラリアに「月を見に行くツアー」などが企画されて人気を博していたかもしれない。
このような反実仮想、お遊びと言ってしまえばそれまでだが、こういった想像を膨らませるのは楽しいものだ。
最後にもうひとつ仮想してみよう。地球が木星ほど重い星であったら、小惑星や彗星などを強い重力によって引き寄せることになり、多数の月を引き連れた賑やかな天体になる一方、数十年に一度は大隕石が落下してクレーターができるほどの大災害をもたらすことになっていたかもしれない。穏やかに月ひとつを眺めていられる今の地球は、それに比べれば圧倒的に安泰。これで良かったのかもしれない。

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