思えば実は謎だらけ。高知大学の取り組みから考える、周年記念式典は誰のため何のために開催するのか?
大学の周年事業で最も注力されるのは、おそらく周年を祝う記念式典です。広報活動もこのイベントを軸に展開されることがよくあります。今回、見つけたプレスリリースは、この周年記念式典を扱ったもので、面白い工夫をしているなと思い読んでいたのですが、だんだん考えていくと、実はこのイベントってすごく不思議じゃない?という気がしてきました。今回はそんな不思議である意味怖いイベント、周年記念式典について取り上げます。
新たな発想、エンタメ型周年記念式典
きっかけになったプレスリリースがどの大学のどんな内容かというと、高知大学の75周年記念式典についてです。注目すべきポイントは、この式典が“エンターテイメント型式典”と銘打たれているところです。ちなみに、内容もエンタメ型という言葉にふさわしく、ダンサー・振付師として活躍する卒業生が総合演出に入り、朗読芝居やダンスで同大学の今昔未来を表現するのだとか。文章ではあまりイメージできませんが、そのせいで返って興味が湧いてきます。
高知大学が周年記念式典に、あえてエンタメ型という言葉を使ったのは、従来の周年記念式典はエンタメではないと考えていたからだと思います。私も大学の周年事業に関わることがありますが、周年記念式典がエンタメかと問われると、悩むことなく首を横に振ります。おそらく、同じように考える大学関係者は多いのではないでしょうか。
誰のため、何のための式典なのか?
で、思うのです。エンタメとは、来場者や視聴者を楽しませるためのもの。これでないのだとしたら、従来の周年記念式典は、一体誰のために何のためにやるのでしょう。
一つの可能性としては、卒業式や入学式のような、ある種のケジメとしてやる、というのが考えられます。もうそうなら、主催者(=自分たち)のためにやる取り組みになり、式典の開催を学外に大々的に広報する必要なんてないように思います。でも、ほとんどの大学では、このイベントを周年広報の山場に持ってくるんですよね。
また別の考え方として、これまで支えてくれた人たち、たとえば地域や企業、卒業生たちのためにやる、というのもありえます。だけど、これはこれで違和感がある。だって周囲への感謝を伝える場であれば、エンタメ(参加者に楽しんでもらう場)であるべきなのに、先述したように多くの式典はそうなっていないからです。
では、周年記念式典は誰のための何なのか……。おそらく明確な答えはなく、いろんな意味合いが少しずつ混じり合って、何となく大切っぽいものという感覚が関係者間で共有されている。そのうえで、ほぼすべての大学が周年事業で式典をやっているので、じゃあうちもやろう、となるのが多いような気がします。
これ、考えようによってはすごく怖いことだと思うんです。だって、周年記念式典は、複数年で展開する周年事業のハイライトです。費用という意味でも、マンパワーという意味でも、相当、注ぎ込まれています。なのに、そのターゲットも目的も、ものすごくフワフワしている。羅針盤の壊れた大きな幽霊船みたいなものが、周年事業の最重要イベントに位置づけられているわけです。ちょっと誇張しましたが、多かれ少なかれそういった側面がある大学がとても多いんじゃないかと思います。
大学の歴史に残るイベントなのだから
今回、高知大学にこのような課題感があったから“エンターテイメント型式典”にしたのかというと、そこはよくわかりません(取材していないので)。
でも、エンタメ型というコンセプトを立てたことで、ここから一歩抜け出し、イベントの輪郭が鮮明になったのは確かです。これであれば、何をもって成功したと言えるのか、とか、どうすればより良くなるのか、とか、そういったことを判断したり、考えたりすることが可能になります。芝居や踊りで歴史を表現するというユニークな発想も、このコンセプトがあったからこそ生まれたのでしょう。
周年事業は、いろんな人のいろんな意見が出てきて、ただでさえまとめるのが大変です。内容を具体化しようとすると、さらに意見が噴出するのは目に見えています。でもそうはいっても企画を詰めることで、よりよいものになる可能性は確実に高まります。高知大学の取り組みからも、それは感じ取れるのではないでしょうか。やっぱりどの周年も1回きりの貴重な機会、大学の歴史に残る事業なのでトコトン議論してつくり上げてほしい。ものすごく無責任ですけど、外部から見ていて、私はそう思うのです。