伝統的、だけど新しい?『神奈川大学評論』から見る、評論雑誌だからこそ伝えられる情報、そしてメッセージ
大学に所属する研究者たちの叡智は、大学と直接かかわらない人にとっても価値があるうえ、大学の存在意義を強く感じさせる情報でもあります。多くの大学は、この情報をうまく届ける方法がないものかと頭を悩ませているのではないでしょうか。今回、見つけた神奈川大学の取り組みは、そんな届け方のヒントになるかもしれません。トラディショナルでありながらも逆に新しい、そんな神奈川大学のアプローチについて考えてみたいと思います。
今ではめずらしい、大学発の評論雑誌
今回、見つけたのは『神奈川大学評論』の第103号発刊のプレスリリースです。この雑誌がどういうものなのかについては、神奈川大学の公式サイトに説明があったので、こちらを引用させてもらいます。
『神奈川大学評論』のような雑誌を評論雑誌といい、ものごとの価値や良し悪しについて論じた寄稿を集めて雑誌化したものになります。昔は大学発の評論雑誌もチラホラとあったように思うのですが、今ではほぼ見かけなくなりました。私が住む関西圏だと、京都精華大学の『木野評論』なんかが切り口が面白くて良かったのですが、残念ながら2005年に休刊してしまいました。今なお続く現役の評論雑誌だと、慶應義塾大学の『三田評論』がありますね。この雑誌は、年間11冊発刊、さらに「三田評論ONLINE」も展開しており、かなり精力的に取り組んでいるようです。
大学広報誌では伝えられなかった研究者の魅力
あらためて大学発の評論雑誌というものを考えてみると、この手法だからこそ伝えられること、表現できていることって、実はけっこうあるように思いました。
ひとつ目は、研究者の知見や視点です。従来の大学広報では、研究者を取り上げるとき、どのような研究をしているのかや、どんな研究成果が出たのか、といったことを主要トピックにしがちです。でも、評論雑誌はそもそものスタイルが違っていて、特集テーマを立てて、そのテーマについて、さまざまな分野の識者が寄稿をします。そこに執筆者の専門性も色濃く出るものの、あくまでもそれは背景であって、その人がそのテーマをどのように捉え、考え、伝えているのかが主題になります。大学の研究者の取り上げ方として、なかなかこういうのはないのではないでしょうか。
ふたつ目は、学外の人にも執筆してもらいやすいこと、そしてそれによってテーマ性を際立たせやすいことがあげられます。今回の『神奈川大学評論』であれば、「ことばの時間」をテーマに、6名の研究者、専門家、文筆家から寄稿を募っていました。6名のなかに神奈川大学の研究者も、当然、何人かいるのだろうと思っていたのですが、調べてみたところ、なんとすべて学外の人でした。特集以外の寄稿には、神奈川大学の研究者の名前がちらほらとあるものの、かなり尖った編集方針です。
大学広報という視点でみると、自大学の研究者が全面に登場しないことはマイナスかもしれません。でも、大学としてどんなことを大切にしているのか、社会に問おうとしているのかといった、スタンスを打ち出すという意味では、学内のリソースのみで伝えなくていいので、より鮮明に伝えられるように思います。
販売する、ということに込められたメッセージ
みっつ目のポイントは、評論雑誌だからこそ、というわけでもないのですが、販売をしていることです。販売するというのは、儲けるためだけでなく、大学がこの雑誌にどれだけ価値を見いだしているかを、わかりやすく表現する手段になります。また、大学広報を主目的にしたツールではないことも直感的に理解できるようになる。こういった価値や性質を表現するうえで、実は販売というのはすごく説得力のある手法なのではないでしょうか。
ただ、販売するとなると、当然、無料配布するより手にする人の数は大幅に減ってしまいます。決して簡単に制作できるものではないし、大学としては稼ぐためにつくっているのかというと、おそらくそうでもないでしょう。知の社会還元であったり、大学PRといった側面を考えると、慶應義塾大学が『三田評論』で展開しているような、販売しつつ、一部オンラインで公開するというのが、やり方として正解なように感じました。
いま世の中で評論雑誌がすごく売れているのかというと、そういうわけではありません。しかし、従来の大学広報では伝えられていなかったことを、評論雑誌だからこそ伝えられるというのは、確かにあるはずです。それに、大学冬の時代ともいえる現在に、あえてこういった雑誌を出すこと自体、学問の府としての気概を世に伝えることになり、ある種の信頼につながるようにも思います。一周まわって新しい、評論雑誌やそのエッセンスを、大学広報に取り入れてみてもいいのかもしれません。