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文化財だからではなく、”思い出の集積地”だから尊い。大学を象徴するランドマークの価値をひもとき考える。

大学のなかには、この建物=この大学、といえるランドマークを持っているところがあります。清泉女子大学もそんな大学の一つで、国重要文化財に指定されている同大学の本館(旧島津家本邸)が、清泉女子大学の象徴になっています。今回この本館を建てたジョサイア・コンドルをテーマにしたイベントが同大学で開催されたのを知り、ランドマークを大切にするというのは、大学にとって大事なことなのだと、あらためてしみじみと感じました。

今回、清泉女子大学で開催されたイベントは「コンドル・サミット」といい、現存するコンドル建築の所有者や管理者が集まり、各建物の紹介やディスカッションを行うというものでした。現存するコンドル建築は9つ(復元や実質設計のみの2件を含む)しかないようで、そのすべての所有者・管理者が集まるというのは、なかなかの力の入れっぷりです。

この熱量の高いイベントのリリースを読むと、清泉女子大学がこのランドマークに、いかに愛情を注いでいるかがよくわかります。またそれとともに、ランドマークの価値は、きっと歴史的・文化的価値というのも大事ではあるものの、その大学の象徴としての価値が大きいように思いました。よくよく考えると、これらランドマークは受験生向けの広報ツールで大きく扱われ、それを見て入ってきた学生たちは、日常的にそのランドマークを目にしながら4年間ないし、もうちょっとの期間、その大学で過ごすことになります。これら日々のなかで、ランドマークは単なる建物ではなく、大学生活や大学の思い出と強く結びついていきます。

以前、ある大学で卒業生向けコミュニケーションについて話していたときに、建物を新しくしたことで、卒業生が大学に訪れる気持ちが減ったように思う、といったことを聞いたことがあります。建物が新しくなるのは、受験生や在学生にとっては魅力ではあるけれど、卒業生にとってはそうではないこともあるわけです。おそらく卒業生にとって建物の価値は、当時と同じであること(や面影があること)であり、それによって、当時を思い出すきっかけになることなのだと思います。そして、この思い出スイッチの象徴がランドマークなのではないでしょうか。

……でも、です。自分で書いたことにすぐさまツッコミを入れるのですが、思い出とのつながりでいうと、ランドマークよりも、いつも勉強していた図書館だとか、友達とおしゃべりしていた校舎裏のベンチとかのほうが、よっぽど懐かしさを感じさせるように思うんですね。だけど、これらはランドマークにはならない。これはなぜなのか。

たぶんランドマークがランドマークになりえるのは、思い出と強く結びついているからではあるけれど、一個人がそう感じいているのでは不十分なんだと思います。たくさんの卒業生(や在学生、教職員)がそう感じていることが重要なのだと。こういう状況ができていることで、ランドマークが話題のきっかけになり、初対面の卒業生同士が盛り上がり、卒業生と在学生が知り合うことができる。その大学のいろんな時代、いろんな立場をつなげていく “思い出の集積地”となる建物こそがランドマークなのだと思うのです。そして、ランドマークが触媒になって、こういったつながりが増えていくと、さらにランドマークは愛される存在に育っていくのではないでしょうか。

創設者や建学の理念なんかにも、ランドマークと同じような効果が期待できそうです。でもこれらはけっこう重たくて、人を選びます。広く学生時代の思い出を束ねるうえで、建物はリアルに存在しているので記憶に残りやすく、さらに軽すぎることも、重すぎることもない、ちょうどいい存在のように思います。ランドマーク=キャンパスにある文化財ととらえると、所持していない大学は手出しができません。しかし、“思い出の集積地”だと考えるなら、何かしらやりようがあるのではないでしょうか。少子化が進むなか、卒業生とのつながり強化や関係者の帰属意識向上は、今後より大きな課題になっていきます。これからを見据えて、ランドマーク創造プロジェクトを立ち上げてみるのも面白いかもしれませんね。

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