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#58 ライターを超えていけ

最近、古賀史健さんの「取材・執筆・推敲」という本を読んでいて、こんな言葉に出会いました。

「気がついたら、こんなところにまできてしまった」
「おかげで、はじめてことばにすることができた」
お互いがそう思える取材が、最高の取材なのだ。

古賀史健さん「取材・執筆・推敲」

くしくも、そのときたまたまVoicyにて、フリーランスの学校の「聴くだけフリーランス講座」を聞いていました。

軽い気持ちでながら聞きしていたのに、まさにこれが「すっごい」内容の座談会だったんですよ(語彙力喪失)。

参加者には沖縄のノマドワーカーもいれば、北海道の定住チーズ職人や本州の自営業者もいて、メンバーも確かに多種多用でした。しかし、もっとバラエティーに富んでいたのはその内容。事前に綿密な脚本を書いていたとしても、ここまでは深い構成にならないだろうなあというものだったんです。

しかも、収録後に御本人たちにチャットで

「これって、事前に企画書を書いたり、事前インタビューみたいなことをしたんですか?」

と聞いてみたら、

「みんなぶっつけ本番ですよー」

「掘り下げたらとんでもないお宝が出てきたのです💛ありがたや~!」

「事前に雑談でお話しましたが、『北海道はゴハンが美味しい』しか話してませんね」

……だそうでして。なんなんだ。この人たちは。

つけ加えておくと、進行役の方を除き、参加されたのはしゃべりのプロでもなんでもないごく普通(?)のフリーランスのみなさんだったんですよ。

実はいうと、今、私は取材ライターという仕事に興味を持っています。なぜなら、音声から記事にすることはある程度慣れているから。あとは「前半」にあたる「取材」ができるようになれば、自分のライターとしての希少価値を少しは上げられるかもしれない。こう考えているんです。

でも私は小心者なので、もし自分がインタビュアーとして取材をする立場になったら、超綿密な企画書を作ることでしょう。きっと質問の内容も事前に全て考えておいて、なんならストーリー展開も練っておく。
だから、取材中には余計な脱線は許さない。だってあとから自分が原稿をまとめるのが大変になるから。

でも、古賀さんの本は、そんな私の姿勢をがっつりと否定しておられるんですね。

脱線を許さず、予定通りの質問を終わるだけの取材は、企画書を超えない取材だ。もっと言えば、自分(ライター)を超えない取材だ。(中略)

取材とは、あなたの立てたプランを答え合わせする場ではない。企画書をなぞり、質問表を読み上げる場でもない。

古賀史健さん「取材・執筆・推敲」


もちろん、事前の準備はとても大事だし、企画書をつくることもそれ自体は悪いことではないと思います。でも、いざ取材にあたるときには、一度それらを思い切って後ろに追いやる。その上でまっしろな心で取材相手に向かい合う姿勢が大切である。
これが、今回の出来事を通して発見したことでした。


だから、これからのわたしは取材中の脱線も大いに受けとめるようにしたい。その上で、
「大丈夫です。私はこの取材をまとめるライターの力を信じていますから!」
と笑って言える取材者でありたいんです。
あ、ここでいう「ライター」って、つまり自分のことなんですけどね(笑)

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