空海が歴史の表舞台に躍り出るきっかけになった文字をクリアファイルにしました。他に欲しい方はいらっしゃいませんか?
※ご好評につき8月末を予定していたキャンペーン期間を在庫がなくなるため、8/12のご注文をもって終了させていただきます。
キャンペーン再開については未定ですm(_ _)m
21世紀になっても、宗教・宗派を問わずに人々の心を惹きつける空海
そんな空海も初めから、仏教界で有名だったと言うわけではありません。
遡ること西暦804年・・・
西暦804年、日本から来た若い僧の姿があった。
彼は、最澄や橘逸勢、霊仙(のちの三蔵法師)など、唐に渡る前から知名度の高いエリートとは違い、無名の僧であった。
空海は、まず長安で醴泉寺の般若三蔵を師事し、約3ヶ月の後、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、師事することとなる。
彼は食寝を忘れ最先端の仏教を学んだという
その後、半年に渡り食寝を忘れて最先端の仏教を学んだという。
かなりのスピード感をもって取り組んだことが、その唐での能動的な行動から、読み取れる。
そして、わずか半年にも関わらず、恵果和尚は空海の才能と素質を見抜き、密教の奥義伝授したとされる。
この時、与えられたのが「遍照金剛」という名で、これは「この世の一切を遍く照らす最上の者」を意味する。
みなさんがよく知る「南無大師遍照金剛」の遍照金剛である。
青龍寺で修行も終盤に差し掛かり、大勢の人たちが関わって曼荼羅や密教法具の製作、経典の書写が行われた。
その時、書かれたものが「三十帖冊子」である。
歴史資料では、38冊あったとされるが、現存するものが30冊であるため三十帖冊子と呼ばれている。
密教の奥義を引き継いだ彼は日本に帰国し、無名の僧から仏教界の表舞台へと躍り出ることとなる。
帰国に際して「虚しく往きて実ちて帰る」という空海の言葉は、わずか2年前無名の一留学僧として入唐した空海の成果がいかに大きなものであったかを如実に示している。
虚往実帰(きょおうじっき)
何の知識や経験も持たない者が、先生や師匠などから多くの教えを授けられることのたとえ。
そんな一番脂の乗った空海が書いた文字から「空」を選んで、オリジナルクリアファイルを作りました。
弘法大師空海が開いた真言密教の聖地「高野山」にあります法徳堂実店舗とネット通販ではこの法徳堂オリジナルクリアファイルをプレゼントするキャンペーン中です。
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