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夢のように消えれば罪の無いものが垂れ流しされる世の中を厄介だと思う間もなく始まる連休。



また夢の話となるけれど、昨晩みた夢で気づいた。夢を覚えていないというのは、わたしの場合は実は夢を上書きして、覚えていないのかもしれない。いくつかの断片的なものがオムニバスのように繋がっていて、結局どんどん、寝ている端から、というと変だが、ひとつの夢が次の夢に消されていく感じを今朝に目覚めて得たのだった。。上書きという単語はとても意味深で、好きな曲に「無邪気さへの上書き(東方プロジェクト)」というのがあり、そのあまりに単純なイメージが個人的に気にいるところなのだが、まさに夢の上から夢を塗りつぶして結果として消えてゆく、そんなはかなさが、儚いという字が夢でできていることにも通じるなと思う。

昨日はひどく寒くて、深夜の最低気温が氷点下二度だったが、明けた今日は寒めながらも日差しがさんさんとして暖かい。猫の食欲も旺盛で、水栽培しているにんじんの葉っぱもこのところ急に伸張してきている。そして今日から四連休。初日の今日はずっと放っておいた確定申告を済ませに税務署へ。といって申告するほどのものもなく、ほぼ形ばかり。かたちばかりといえば、、

これを書いている側から、防災無線から11時の放送が流れてくる。まんぼうなんとかという奴で、マスクが手指が、と、全く無意味、かつ、有害としか思えない音声を垂れ流す。でもこれがお役所の理論ということなのだろう。偉大なるマンネリ、意図的な無神経、という気もするし、、そういえばこれは連想だが、まだ会社勤めを始めたばかりの頃、B5版の小さな紙に業務連絡とクビの人事が並列されていたことに強い違和感を覚えたことを思い出した。一枚の紙でミソとクソを一緒にするようなものだと思ったのだった。それがいま、スピーカーに変わって、遠き山に陽が落ちての時報とまんぼう云々の垂れ流しをごちゃ混ぜにしている。

意図的な、無関心、個人では存在しても集団では消える、感情、というものが、あるのかもしれない。


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