笑いの神様は気まぐれなので笑える時を逃がさない、と思うのは気持ちのいわゆる貧乏性。
久しぶりのいい天気のなか目覚める。8時。今日からまた放課後クラブの仕事が始まる。ここのところのコロナのせいで学級閉鎖もあり、集う子供たちの数は少なめ。これまであまりここには書いてこなかったが、学校も迷走気味で、遊びについてもいわゆる接触とか密とかにやたらと気を遣っているらしい。ドッチボールはダメだけど、縄跳びは良い、でも長縄跳びはダメだとか。なんとも、やれやれだ。マスクのこともあるがこれはもはや言っても始まらないこととしている。なんとももどかしいが。
鬱状態、うつの時期が、そろそろ終わりなのかもしれないという予感がしている。。バカリズムさんのコントを観ている。非常に知的に構成されていて、笑える。こういう笑いを積極的に見つけるというか、取り込むような方向に意識が向かっていることは鬱から躁へ気分が向かいつつあることを示している。
おととい髪の毛を控えめに切って、寒さを感じていたが、今日は少し気温が高めらしい。体が慣れたということもあるかも。よくいわれることだが髪の毛の保温効果はかなりある。ちなみに、わたしは普段から三ミリほどのほぼ丸刈り坊主なのだが、今回はその倍の長さにして、丸刈りではなくなんとなくスポーツ刈りっぽい感じにしてもらった。それでも寒いと感じるのはほんの数ミリの差が体感に影響するということ。
今週が、また始まる。何か積み残したものがないかと、思うが、、きっとない。いや、実はあってそれは確定申告。
まあ、そのうちにやりにいこう。