キリのないことにキリをつけようとキリキリ舞いとは、脳内で観客なしの落語を真似るみたいだ。
時間を気にしながら書いている。時間を気にするのは、毎日、何であれ書くと決めてこの日記をつけるようになってからで、もっと正確にいうとどのタイミングで書付けるかが気になってしまう。生活の順番というか、歯磨きしたり着替えたりするいつもの決まった振る舞いの中にどう組み込むか。行ってみれば身支度をすることの一つにこの日記も含まれているということかもしれない。そう思うと、なるほど時間が気になる訳で、なるべく早くすませてしまおうとするようだ。
、、といってこのようにあれこれ思い巡らせながらでは五分や十分はあっという間で、急いで出かける日などはだから本当に書きつけるだけとなる、と、いま書いて気づいたが、この日記はやはり、身支度の一つになっている。今も同じだ。出かけるまでの時間から逆算して時計をチラチラ確認している。ちなみにどこにも出かけない日でも同じで、出かける訳でもないのにやはり目標時間を設けてそこから逆算し、なるべく早く済ませようとする。
とにかく、済ませようという意識がくっきりしている。このごろ書かないがわたしは脱糞にこだわっているけれどそれとほぼ感触は同じだ。快便をいつ済ませるか、それを連れ合いとのタイミングに被らないように、などとこれ以上は話題もアレだしキリがないのだが、乱暴にくくると。
どうも、、純粋にわたしで完結する振る舞いを、わたし以外の、ひと、に限らず、ものとか事柄とか、そういった周りのものたちに囲まれながら、いかに短時間で済ませるかということに苦心しているようなのだ。必要のない義務感に踊らされて暮らしているというか。しかもその、ねばならない感が、相手ではなく自分だけのためにある。空回りしている、わがままというかなんというか。そしてまた時計が気になる。実際もう一時間以上が経った。
切り上げよう。。連れ合いが夢をみたという。いま彼女は腰というか股関節なのか、不明だが右足の付け根に痛みがあるらしく心配している。昨晩から急になったとのことで、一晩経ってだいぶ良くなったらしいが、その夜の夢の中で踊っていたらしい。彼女は二十台前半のころに舞台で踊っていたことがあり、その時の記憶が蘇ったということだろうが、本人がいうには治療だったのではないかと。何でも配役の誰だかが、天から太鼓を持ってきてそれを彼女のお腹の上で叩き鳴らしたという。鼓膜が破けるかと思ったと。でもお腹の調子も悪かったからやっぱり治療してたんじゃないかしら、との感想。
こじつける必要も、意味もないが。。連れ合いもやはり、純粋に自分の中で何かを、完結させようとしているのだろうか。