二日酔いの夢をみて、起きてもまだ二日酔いだった。どちらもまぼろし。なのに体感をともなって。
酒を飲んだ夢をみた。もっと言えば二日酔いになっている夢をみた。わたしはいわゆるアル中だったがいまは飲んでいない、、と、そこはちょっと微妙で後で述べるともかくも、二日酔いの夢だった。
こんな感じだった。。以前に住んでいた街。だいぶ様子は違うがそうだと認識している。そこを、歩いているのだがとにかく苦しい。体がうまく動かない。子供の頃の夢では走ろうとするとなかなか進めないということがあったが、そういう不自然さとは違う。二日酔いのときのからだが重たい感じが妙にリアルに感じられる。
横断歩道? をいくつか信号待ちして、渡り、そこは夢らしく唐突に現れた階段をよろよろと登る。体がとにかくうまく動かせない。参ったなあ、という気持ちがあったかどうか、定かではないがともかく進もうという気持ちはあった。映画のカットバックのように、誰だか知らない相手にやたら酒を注がれた情景が、再現され、別に嬉しくもないままそれを受けていたようだった。夢らしく同時にそこから脈絡なく情景が変わり、歩いていた。しかしなかなか思ったようにからだが運ばない。
、、そのあたりで、目が覚めた。正確にはまだ寝ているが、夢のなかから離脱していることは確かだった。あたりが薄明るい。尿意がして起きようとした。と、そこに懐かしい感覚があった。右を下にした姿勢で寝ているのだったのだが、脇腹のあたりになにか痺れるような、重苦しい感じがする。それが、からだ全体にじいんと響くようになって、おしっこに行こうと起き上がろうとするからだの動きを鈍くする。
ああ、これって肝臓だ、と、放尿しながら思った。。酒を飲まなくなり、肝機能はいまはまったく正常だ。その肝臓がひどく弱っている時の、右脇腹を中心にした違和感は、大酒飲みだった頃は嫌というほど、自覚していた。それが二日酔いの夢をみた直後のリアルな身体感覚として蘇った、ということだろうか。なるほどなあと、以前に読んだ話を思い出した。ある方が肝臓移植を受けた。その方はいわゆる下戸で酒をまったく飲まない。ところが後に急に酒を飲みたくなったのだという。肝臓の、記憶ってことかな。膀胱がカラになり、すっかりスッキリしていつのまにか肝臓の違和感も消えていた。
と、ここまでざっと記録してみて。妙なことだ、と思っている。。二日酔いと、体の記憶としての、二日酔い。このふたつのまぼろしの二日酔いを、夢とそこから覚めたところまでという、まるで海を泳いで陸へあがったかのように、意識と体感という違う環境のもとで味わった、ということなのかと。
でもそもそもなんで、二日酔いなのだろう。。酔っ払っている夢なら、酒への抜けない願望を体現しているとして理解できる。しかし実際には二日酔いだった。それも妙にリアルな不快感を、夢のなかだけではなく目覚めてからも、持続し、おまけに酒を飲んで酔っているという、本来はソコだとおもえるあの酩酊感はまったく味わっていない。
損したような、馬鹿馬鹿しいような気は、している。でもなあ、と、ふと気づくのは、酒を飲んで酔っ払うというあの感覚を、いまでははっきりとは覚えていないということなのだ。。いや、冒頭に記したとおり誤魔化さずに言えば、微アルコールといって、ごくわずかなアルコール含有のビールもどきを、実はたまに飲むことがある。そのときに、あ、キテるかなあという、あの酩酊のほんの入口にいることは、ある。だけれども。
それこそ酔うという感覚からはぜんぜん、遠く、だからこそ(まったく不正確だが)飲んでいない、という意識をなんとか保っているところがあるし、実際にこれ以上は飲まないと決めてなんとか維持している、のだが。
だったら、しょせんは、夢なんだから、派手に酔っ払ってやればよかったと、すこし悔しい気も、するが。。いや、そもそも酔っているという感覚をもう思い出せなくなっているのだから。
とどのつまり、酔うということの、はかなさを、夢ですら再現できない、感覚としての不確かさ、切なさみたいなものを、それこそ寝ても覚めても実感しているのかもしれない、と思う。