シリーズ・風景のわたし〜サンクチュアリに失敗するのだ。〜
昔から「長続きしない」ことにかけては自信がある。いや長くなにかを続けるための、同じところに居続けることが困難と言うべきかも、しれない。勤めた会社ももっとも長くて4年がやっと。あとはだいたい3年を限度に転職を繰り返してきた。なんだか学校の卒業を、繰り返し繰り返してきたみたいだな、そうか、これ、卒業を卒業できなかったってことかあ、と、だいぶ後になって感じて、妙な悦に入ったりした。
もちろん暮らしに行き詰まった、挙句の、なかばヤケになりながらの振り返りだから、そんなに呑気なことでは、ないのだ。が、それをここで触れることは、しない。ここでの、わたしは、少なくとも今のところはシャイになるつもりだから。鬱々と培ってきた心の闇と正面切って戯れるほど、勇気がない、そんな人をして気持ちをどんよりと暗くさせることに、熱中するほど、もう心根が若くはないというべきか。
ともあれ。気散じということだったのだと、思う。。庭に野鳥の餌台を作ろうと思った。
「スズメが来るかな」
「どうでしょ」
相方と二人で住むこのあたりは、目の前が海でそこから山に分け入っていくかたちをとっている。海と山から、名前の知らない小鳥がカラスやスズメに混じってたくさん飛んでいる。
「これならネコに狙われなくて、いいだろ」
「地面よりは、いいかもね」
ご近所に猫好きがいて、家の中と外でたくさん飼っている。そのうちの数匹が、庭の縁石の上に撒いておいた押し麦にやってきたスズメを、狙っていた、らしい。かれらはネコなのでいちいち訪問の意図を伝えることはない。わたしもまさかハンティングだとは気付かず、ああ、また来たなというくらいで、小鳥がなかなか姿をみせないなあ、食べ物が足りているのか、などとやや見当違いの思いでいた。まあ、前と違って、餌台の上だ。安心したら来るだろう、と。
幾日かが過ぎた。。なかなか小鳥は現れない。暮らしの足しにと、わたしはいらっしゃいませと言いながら体を動かすパートに出ている。短時間とはいえお客のわがままに付き合った後の、戻ってきてから感じる疲れが、正直しんどかったわたしは、今日こそは小鳥が来たかどうかと、玄関を開ける前にまず庭にまわり野鳥の餌台をチェックするのが日課になった。
「スズメも来ないの?」
「わかんない、来てるとは思うけど」
全然減ってない、餌台のなかを思い出しながら、わたしはそういえば相方が餌台の近くで洗濯物を干していることに気が留まった。猫もだが、バサバサと人間が布地を動かしていれば、小さな小鳥にすればでかい羽根をバタつかせているようで、気が気ではないのかも知れない。
「時間がかかるっているのよ」そう相方が言うのに、だよなあと曖昧に返事をして、そうだよな、彼女のせいでもなければ猫のせいでも、ないんだよなあ、なんだかは知らんが、要は鳥の都合なんだろう、そうだそれが自然の論理ってもんだ。。
毎朝、パートに出かける時、それから戻って来た時。わたしの、餌台の、なかを覗き込んではすこしガッカリする日が始まった。相方もだいぶ気にはしているようだった。が、彼女には日々の洗濯がある。小鳥が、来るかもしれないという、二人の愉しみに繋がることだとしても、まさか洗濯をやめるというわけにはいかないだろう。もちろんネコのことは初めから予定外である。
なかなか小鳥は姿を見せなかった。。雨が降り、日が照って、餌台のなかの押し麦はふやけて、ふくらみ、乾いて縮んだ。粒こそ数えなかったが、押し麦は一定の量のまま、食べ物というよりは何かのオブジェのようになっていった。。今になって思えば、わたしと、相方、ネコ、それらそれぞれの、思惑が、小鳥という共通の、対象のなかで入り混じり、それがかの小鳥たちの来訪を妨げたのかもしれない。。もちろん、小鳥からみればそんなわたしたち二人と数匹の思惑なんて、どうでもいいことだったのかもしれない。
ともあれなんであれ、いまとなってはもうわからない。わかったところでどうなるものでもないのは、確かだが、欲をいえばわたしは知りたかった。というか訊いてみたかった。ねえ、鳥さん鳥さん、どうしてやってきてくれないの? 麦が、お口に、合わないのかい? と。
でも、もう決着は、ついてしまった。なぜなら、、その日は突然にやって来たからだ。
「へえ、クマンバチ?」のんびりとした相方だった。それに、
「うん、びっくりした」と、わたしが言った。すこし報告調子だった。
その日。。たしかパートに出かける前の慌ただしさのなかだったと思う。わたしは一匹の立派なクマンバチに、背を向けながら、小鳥の餌台を雑に取り外していた。
良く言えば偶然、でなければ浅はかな行動だった。押し麦は好みではないのかもと気を回したわたしは、思いついて食べかけのレーズンを餌台の上に撒いてみた。
そうしたら、直ぐに、、といっても翌日くらいだったが、一匹のおおきなクマンバチが、太い羽音を響かせて餌台の真上あたりで静止していた。
真っ先に思いついたのは、これはマズいな、という判断だった。。しかし、以下に白状するが、それは相方が、この餌台近くで洗濯ものを干しているのだなあ、という危機感よりも、あるいはネコが小鳥を狙っているらしいということよりも、むしろクマンバチが仲間を連れてやってきたらどうしよう、という怖さだった。。いま思えば奇妙なものの捉え方であったような、気はする。いや奇妙というよりは、得体のしれない、なんだかそうでなくてはいけないのだ! と、誰かにせっつかれた時のような、うろたえ、に、近いものだっただろうか。
でも、、こういう言い回しはとても、わたし的には好きなので、繰り返すのだが。
もうすっかり、決着はついてしまい、、いまわたしは、別にほっとしたわけでもなく、さりとて残念でも、なく。。残念とはもちろん鳥の期待に添えなかったことだが、かと言ってなんの罪悪感を感じることもなく。
これもまた別に気にしなくてもいいことなのだが、、あの気まぐれなネコのハンティングの愉しみを邪魔したことで、すこしばかりの『鳥助け』をしたような、そんな嬉しいような気分になることもせず。
そのうち、機会をみてまた、また試してみよう、なあに、心配はまたいろいろやって来るさ、だってそんなことはみんな予想できないことなんだし、と。あるいは。
もしかすると。今度こそは、あの小さくて綺麗なつばさ達が、やってくるかもしれないな、と。。わたしにしては珍しく、かなり次の餌台設置にむけての、段取りを、そうとは知らずについアタマのなかで、こねくりまわしている。