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スネーク・スニーク・アンド・シーク

 あっ、とサチが伸ばした手は届かず、それはころころと机の奥へと転がり落ちていった。車いすから身を乗り出して、机の向こうをのぞき込む。
「あー」
「どうしたの?」
 参考書の解説していたくるみが、解説を中断して首を傾げた。
 サチが西テクノ高専を志望していると聞きつけたくるみが、勉強を教えてくれることになったのは一か月前のことだ。以来、大学の授業の合間を縫って、このババハウスの勉強部屋を借りて時々勉強を見てもらっているのだ。
 四畳ほどの勉強部屋の床は、いつも通り綺麗に清掃されていて何も落ちていない。ゴミも、サチの宝物もなにも。
「なんか落としちゃった?」
「うん。棚の下に行っちゃったかな」
 サチは電源を落としていた車いすを起動した。サチのレバー操作に従って、車いすは本棚の近くで止まる。本棚の下には少しだけ隙間が空いている。その隙間に転がり込んでしまったのかもしれない。床に寝転がり、本棚の下を覗いてみる。暗い上に狭くて、隙間のなかの様子はよく見えない。
 しかたがないか。サチは小さくため息をついて車いすに座りなおした。
「ごめんね。くるみちゃん。せっかく教えてくれてるのに中断しちゃって」
「それはいいんだけど。あった?」
「ううん」
 サチは小さく首を振って答えた。見つからないものを探しても仕方がない。ペンを手に取ると、ノートの中断していたところに目を向ける。
「なに落としたの?」
 ぱたん、と参考書を閉じて、くるみがサチに尋ねた。サチは一度くるみの方を見てから、すぐにノートに目線を落とした。
「なんでもないよ」
「そう」
 くるみは短くそう言うと立ち上がり、本棚の方へ歩いていった
「本当になんでもないんだって」
「えー、だって気になるじゃん」
 くるみは口を尖らせながら本棚の下にしゃがみこむ。隙間を覗き込みながら、トレードマークの長い袖が汚れるのも気にせず、手を突っ込んでごそごそと探っている。
「んー、けっこう奥の方いっちゃったのかな」
「くるみちゃん!」
 サチの口から出た呼びかけは自分で出そうと思っていたよりも強いものだった。
 くるみが顔だけで振り返った。
「なんか大事なものなんでしょ?」
 サチは首を振った。
「いいんだよ」
 意識して笑顔を作って、言葉を続ける。
「落としちゃったのは、私のせいだし、本当にそこに落ちたのかわかんないし、もしそこにあったとしても、手が届かなくてとれないし、それに、本当に大したものじゃないから」
「そっか」
 くるみは肩をすくめて立ち上がった。名残惜しそうに隙間の方に目をやりながら、袖についた埃を払っている。
「うん、でも、ありがとね」
「ううん」
「ほら、勉強の続き教えてよ」
「ねえ」
 くるみは二歩、サチに近づくとしゃがみこんだ。栗色の大きな瞳が下からサチをのぞき込んでくる。
「明日って、時間ある?」
 目を逸らせないまま、サチは頭のなかでスケジュール帳をめくった。明日は休日で、とくになんの予定も入っていない。サチは小さく頷いた。
「たぶん、大丈夫だけど」
「そっか、よかった」
 くるみは膝に手を当てて立ち上がるとにっこりと笑った。
「じゃあ、明日またここ来てくれる? 勉強の続きも教えるからさ」

「なあに? それ」
 くるみが引きずってきた大きなスーツケースを見て、サチは目を丸くした。車いすに座ったサチと同じくらいの大きさのそのスーツケースは、小柄なくるみが持っていると大きさがより強調されて見えた。
「えへへ、秘密兵器」
 くるみは笑って答える。キャスターが床を傷つけないように少しだけ浮かせながら、勉強部屋にスーツケースを運び込んだ。
 スーツケースを寝かせて蓋を開く。姿を現したのは細長い機械の塊だった。いくつかの節を繋ぎ合わせたような形をしていて、渦を巻くように折りたたまれている。
 サチは以前、似たような機械を新聞で見たことを思い出した。災害地での救助や宇宙空間での探索のために開発されたロボットがちょうどこのような形をしていた。走破性が高く、狭い隙間や足場が悪いところにも入っていけるのが特徴だと、記事に書かれていた。
「え、くるみちゃんが作ったの?」
「うん、いいでしょ」
 わくわくとした口調で自慢しながら、くるみはセットアップを開始する。スーツケースからロボットの本体とパソコンを取り出して、両方を起動する。
「大学生になっていろいろできることも増えたからさー、この前作ってみたんだ。まさか、こんなに早く日の目を見るとは思わなかったけど」
 よーし、とくるみは舌で唇を湿らせるとパソコンに繋いだコントローラーを握りなおした。うぃん、と低い唸り声を上げて、ロボットが起動する。
 パソコンのモニターが明転して、ロボットの先端に取り付けられたカメラから送られてくる映像を表示する。
 くるみがコントローラーのスティックを倒すと、ロボットはくねくねと身をくねらせながら、隙間に身体を押し込んでいった。
「うーん、見つからないなー」
 しばらく操作してから、くるみは唸り声を上げた。隙間の中にはいろいろなものが入り込んでいて、上手く探せないようだった。それを見ていたサチはおずおずと声をかけた。
「ねえ、私もやってみていい?」
「え?」
 モニターを見つめていたくるみが顔を上げる。
「やってみたくなった?」
「うん」
 くるみはにっこりと笑顔を浮かべながら、サチにコントローラーを差し出した。

「さっちゃん、操作上手いね」
 くるみが少し驚いたように感想を漏らした。ロボットの滑らかな動きがモニター越しに伝わってくる。実際、サチ自身も驚くほどロボットを自然に操作できていた。
「ちょっと、車いすの操作に似てるかも」
「ああ、なるほどね」
 サチが考えながら言うと、くるみが納得したように頷いた。中学校への進学を機に電動の車いすに乗り始めてもう二年になる。車いすはサチの身体の一部になっていた。
 自分の身体の延長として機械を使う感覚は、ロボットを操作するのととても近しい感覚だった。
「あ」
 モニターにサチが見覚えのあるフォルムを映し出した。
「それ?」
「うん」
「じゃあ、もう少し近づいたら、緑のボタン押してみて」
「このくらいかな」
 くるみの指示通りにロボットを操作する。ふいに画面の下方向からアームが現れて、目の前のものを掴んだ。
「おお」
「よし、じゃあ、これで戻ってこれる?」
「うん、やってみるね」
 サチは頷くと、コントローラーのスティックを倒す。ゆっくりと円を描く軌道でロボットは光の指す方へ、サチとくるみがいる方へと向きを変えた。
「あのね、さっちゃん」
 モニターに目を向けたまま、くるみが呟いた。サチはちらりとくるみの方を見た。
「技術って万能じゃないかもしれないけどさ、技術があったらできることもいっぱいあるとくるみは思うんだよね」
「うん」
「だから、しかたがないってあきらめる前に、少しだけ悪あがきしてほしいなって、思うよ」
「うん」
 サチは頷く。モニターが白く染まる。もうすぐ出口だ。くるみはサチに顔を向けて言った。その顔は少し照れたような笑顔だった。
「だって、さっちゃん、くるみの後輩になるんでしょ?」
「うん。そうだね」
 サチも笑って頷いた。

「それで、結局何を落としたの?」
 くるみが首を傾げながら尋ねた。サチは手を開いた。そこにはロボットから回収した宝物があった。それを見て、くるみは目を見開いた。
「これ……」
「いいでしょー」
 サチは自慢げに笑った。それは昔、テレビ番組で視聴者プレゼントとして配られた東西南北(仮)の缶バッヂだった。
「えー、それはもっと大事にしてよー、しかたないとか言わないでさー」
 くるみが口を尖らせて文句を言う。
「はーい、じゃあ、もっと諦め悪くなりまーす。先輩」
「はいはい、じゃあ、せっかくだし昨日できなかったところ少しやってみようか」
「えー、勉強するつもりで来てないよう」
「いいからやるよ。西テクノ、意外と偏差値高いんだからね」
 そう言いながらくるみは昨日から机の上に置きっぱなしになっていた参考書を開いた。サチはすねたふりをしながら、机に車いすを寄せた。
 ここまで言われてしまったのなら、どうやら合格しないわけにはいかなくなったぞ、と思いながら。


 

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