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【ギガモンカードファイト!】降池堂20年目の激闘! #パルプアドベントカレンダー2024

 自分の湯飲みにお茶を注ぐ。湯飲みいっぱいにお茶を継いでも、急須の中身は半分残った
「ああ、私のだけでいいんだった」
 呟きに答える人は誰もいない。
 後で捨てよう、と美奈は思う。でも、それは後でいい。もしかしたらもう一杯飲みたくなるかもしれないから。
 湯飲みのぬくもりを感じながら、椅子に腰を下ろす。
 向かいに誰もいないと、テーブルはやけに広く感じられる。お茶を一口すする。
 テーブルの端、二つの箱が目に入る。青色の箱と黒色の古びたプラスチックの箱。年月を経て角は白くなっているけれども、まだ形を保っている。
 青色の箱を手に取り、ふたを開ける。
 箱の中から出てきたのは、カードの束。ぴったりとした透明の袋に入ったそのカードたちは、表面にそれぞれ奇妙な姿をした生き物のイラストと、いくらかの文字が書かれていた。袋もカードも古びていているけれども、折り目や大きな傷はない。
 美奈は数枚カードをめくってから、大きなため息をついた。じわりと胸に浮かんだ痛みを吐き出すようなため息だった。
 首を振り、カードを箱にしまう。
 静寂。
 箱のふたを閉めて、しばらく二つの箱を見つめてから呟く。
「捨てるのは、ちょっと嫌だな」
 その声は、自分でも意外なほどに弱々しいものだった。

◆◆◆

 次の日の夕方、美奈は病院の帰りに少し遠回りをした。
「この辺だっけ」
 おぼろげな記憶を頼りに建物を探す。
「ああ、ここだ」
 道端に置かれた『カードショップ 降池堂』という看板を見て呟く。
 看板には黄色いウサギのような生物のイラストが描かれている。ギガモンの人気モンスターだ。どうやらこのお店ではギガモンカードを扱ってはいるようだ。
 記憶の通り、「買取」とも確かに書いてある。
 鞄に手を入れ、その中の二つの箱に触れる。
 美奈は深呼吸をして、ギガモンのポスターで覆われた扉を押し開いた。
 店の中からギガモンたちが歌うクリスマスソングが聞こえてきた。

「いらっしゃいませ」
 カウンターに座ったサンタ帽をかぶった髪の長い店員は、店に入ってきた美奈に一瞬視線を送ると、すぐに手元のスマホに目を戻した。カードの並ぶショウケースを抜けて、美奈はおずおずとカウンターに向かう。
「あのう、すみません」
「はい、なんでしょう」
 美奈が声をかけると眼鏡の店員はようやくスマホから顔を上げた。
「その、買取をお願いしたいんですけど」
「カードですか?」
「はい、あの、ギガモンの」
「どちらのカードですか?」
「あ、これです」
 店員に尋ねられてから、美奈は慌てて鞄から二つのデッキケースを取り出した。店員は少し不思議そうな顔をした。
「これまるごとですか?」
「はい。ちょっと古いカードだから値段はつかないかもしれないんですけど、でも、その、引き取ってもらいたくて」
「わかりました。見てみますんで、こちらの用紙に必要事項を記入して、お待ちください」
「あ、はい」
 美奈は店員の用紙の挟まったバインダーを受け取ると、心細げに頷いた。
 ぱらぱらと店員がデッキをめくる。その無気力な様子からは意外な印象を受けるほどに丁寧な手つきだった。
「あれ?」
 店員が声を上げた。何か変なものでも混じっていただろうか? 
 美奈はバインダー越しにちらりと様子を窺う。店員と目が合った。
「あの、なにか?」
「いえ、あー、これってもしかして『霧森の迷い路』ですか?」
「え?」
 おずおずと店員が口にした名前に、美奈の記憶がかすかに疼いた。覚えのある名前だ。でもどこで?
 たどたどしい早口で店員は言葉を続けた。
「あ、いや、違ったらすみません。ほら、二十年くらい前のギガモンカードエントリーデッキの」
「ああ」
 その補足に、古い記憶が蘇る。それはずっと昔に見た名前だった。今の箱を買うまでケース代わりに使っていたパッケージに書かれていた名前。
 古くなったあの箱を捨てたのも、もうずいぶん前だ。
「そういえば、そんな名前だったかもしれません」
「もしかして、そっちも?」
 店員はもう一つの箱を指さす。美奈は頷く。
 厳かな手つきで箱を開けると、店員は喜びの声を上げた。
「おお、やっぱり『巡り周る回想』だ」
「有名なカードでも入ってるんですか?」
 弾んだ声を出す店員に、美奈は不思議そうに問いかけた。
「ああ、いえ、そういうわけでもないんですけど。ちょうど、僕もこのデッキでギガモン始めたものだから」
「へえ、そうなんですか」
「いいデッキですよね。どっちも。墓地利用アグロと攪乱テンポ。エントリーデッキにしてはちょっと複雑な組み合わせだけど、結構駆け引きあって。ああ、懐かしいなあ。兄貴と一緒に始めたんだけど、全然勝てなくて」
 店員は遠い目をして楽しそうに語り始める。
 早口の語りを聞きながら、美奈の胸には驚きの感情が浮かんでいた。
 二十年前? 店員はそう言っただろうか。それじゃあ、もう二十年も続けていたことになる。夫とのあの習慣を。
「あ、すみません。勝手になんか話し始めちゃって。えーっと、買取、でいいんでしたっけ?」
「ええ、お願いします」
「あー」
 ふいに店員の目に訝し気な色が宿った。
「これは奥さんのカードですよね?」
 何かを警戒しているような、探るような、そんな目つき。なんだろう。美奈は首を傾げた。
「まあ、そうですけど」
「いえね、あるんですよ。お子さんとか旦那さんのカードを勝手に売りに出しちゃうこと。断捨離とか言って」
「ああ、違いますよ。間違いなく私のです」
 美奈は自分の口から出たその声が、思いのほか固いことに驚いた。
 けれどもそれは事実だ。このデッキはまぎれもなく美奈のものだ。少なくとも、今では、すでに。だって、夫はもうデッキを握ることはないだろうから。だから、それは間違いのない事実で。でも、だからこそ、その言葉は美奈自身の喉に突き刺さった。
「あー、そうですか」
 何か察するものでもあっただろうか、店員は気まずそうに眼を落とすと、カードをぱらぱらとめくった。そのまま一つ咳払いをしてから、真面目な口調で続けた。
「確かに古いカードばかりなんで、あんまりいい値段にはならないですね。いくつか値段上がってるカードも入ってるので、それとあと状態見ると……まあ、こんなもんですかね」
 店員はカウンターの上の電卓に数字を打ち込むと美奈に示した。あまり大きな値段じゃない。夫が持って帰ってきたときに箱についていた値段の半分くらいだろうか。でも、十分だ。むしろお得な買い物だ。
「ええ、じゃあそれでお願いします」
「本当にいいんですか?」
 頷く美奈に、店員が問いかけた。
 美奈が電卓から顔を上げると、店員はきゅっと眉を寄せて、美奈を見つめていた。その顔は何か言いたげな顔だった。
 だから、美奈はもう一度頷いた。店員が何かを言い出す前に。
「ええ、いいんです」
「そうですか」
「はい」
「……それじゃあ、今書類作りますね」
 美奈はさらにもう一度頷く。店員はそれ以上はもう何も言わず、美奈からバインダーを受け取ると、用紙を見ながら傍らのパソコンのキーボードを叩きはじめた。
 美奈は手持無沙汰になって、あたりを見渡した。
 棚には色とりどりのカードパックが並び、ショーケースには様々なイラストのカードが飾られている。目立つところに飾られているのは、美奈たちのデッキのカードとはずいぶんと異なった、今風のイラストだ。
 けれども目を移していくと、絵柄はだんだんと昔風のものになっていき、奥の方にはどこか懐かしい絵柄のカードがひっそりと収められている。
 美奈たちのデッキに入っているカードもあるのだろうか。
 ふと、ショーケースの向こうにスペースがあるのに気が付いた。なんだろう。目を凝らす。そこはいくつか簡単な机といすが並べられた空間だった。壁には「対戦スペース」という文字がギガモンのイラストと一緒にラミネートされて貼りだされていた。
 今は誰もいない。
 空っぽの机と、置きっぱなしの椅子。がらんとした静けさがその空間を満たしていた。対戦スペースの机や椅子は少し散らかっていて、頻繁に使われているのがわかる。静かなのは、人がいない今だけなのだろう。
 その静けさに頭に浮かんだのは家のリビングだった。美奈と夫だけの対戦机。今は一人だけの空間。あのリビングの静けさが破られることはない。
 この対戦スペースの静けさとは違って。
「すみません、こちらにサインを」
 店員の言葉に我に返る。いくつかの新しい紙と、トレーに乗ったお金。
 書類の準備が終わったらしい。
 美奈は笑顔を作って頷く。
「ええ、ありがとうございます」
 書類を受け取り、ペンを握る。書類に記載された金額とトレーの上のお金を見る。
 ペンを持った手が止まる。
――ここに名前を書いて、お金を受け取れば、このデッキたちと別れることができる。
 そのためにここに来たのだ。そうするために。
 けれども、不思議なことに、美奈が握ったペンはどうしても動こうとしなかった。
「あの?」
「ええ、ごめんなさいね。今書きます。ここに書けばいいのですよね」
 訝し気な店員の声を遮って、美奈は言う。
 そう、書けばいい。書くだけでいいのだ。それなのに、どうして。
「ねえ」
 美奈はトレーの上のお金を見た。それから、カウンターの上に置かれたままになっているデッキに目をやった。
 美奈の口が開いた。何を言うのか考えもしないで。
「もしよかったら、最後に一度だけ対戦してもらえませんか?」
 口から滑り出た言葉に、驚いたのは美奈自身だった。
 言葉の意味を認識して、すぐに口を閉ざす。間違いだ。そうでないなら気の迷い。慌てて訂正する。
「ああ、いや、ごめんなさいね。違うの。もう、売ることにしたんだから、なしよね。ごめんなさい」
「いいですよ」
「え?」
 返ってきた言葉を聞いて、美奈は再び大きく驚いた。店員は畳みかけるように続ける。
「ちょうど他にお客さんもいませんし、対戦スペースも空いてるし、ほら、僕も懐かしいんで、対戦出来たらいいなって思ってたんですよ」
「いいんですか?」
「まあ、店長にばれなければ」
 そう言うと、店員は目を細めて笑い、デッキをケースに入れるとそのまま対戦スペースへ向かった。
 店員の皺だらけの制服の背中を見つめながら、美奈はレジの前に立ち尽くしていた。なぜ、あんなことを言ってしまったんだろう。
 ここにはカードを売るためだけに来た。カードを売って、それでおしまい。それで決着がつくはずだった。だから、さっきの言葉なんて撤回してしまえばいい。そうしてサインをして、お金を受け取って、店を出れば、すっきりと終わらせることができるのに。
 それなのに、美奈の足は対戦スペースの方へ一歩踏み出していた。半ば夢を見ているような足取りで、まっすぐに。

「どっちのデッキ使います?」
 店員は椅子に腰を下ろすと、二つのデッキケースを並べた。
 青の箱と黒の箱。いつものリビングでない場所でその箱が並んでいるのを見るのはなんだか奇妙な気分だった。
 美奈は店員に向かい合うように座って、少し考えた。いつも自分が使っていたデッキは黒色の箱、『巡り周る回想』の方だった。最後なのだから使い慣れている方がいい、そう思って伸ばしかけた手がぴたりと止まる。
 最後なのだから。
 浮かんだ思いが、胸にとどまる。青色のデッキケースに目が止まる。毎晩、夫は楽しそうにあの箱からデッキを取り出していた。
 あのデッキを見るのも、これで最後になる。
「どうします?」
 店員が静かに尋ねてくる。
「せっかくだから、『霧森の迷い路』にしようかしら。こっちはあんまり使ったことなかったから」
 そう言って、青色のデッキケースを手に取った。
「いいですよ。逆に僕も《巡り周る回想》はあんまり使ってなかったんで」
 店員は黒色のデッキを手に取ると、中からカードを取り出して中身を確認した。美奈もデッキを取り出すと、二つの束に分けて片方の束をもう片方の束のカードの隙間に差し込んでいった。
 このカードの混ぜ方も夫が教えてくれたのだった。その時は夫も聞きかじりだったらしく、とてもたどたどしい手つきでやって見せてくれた。二人が自然な手つきで混ぜられるようになったのはいつのころだっただろうか。
「ルールとかは、大丈夫ですかね?」
「ええ。でも、なにか間違っていたら教えてちょうだい」
「わかりました。じゃあ、先攻後攻はダイスで決めますね」
「はい」
 ダイスを振って順番を決め、互いのデッキをシャッフルして、手札を引く。悪くない手札。店員も、満足いったようで「このままで」と頷く。
「じゃあ、最初のターン。《もの忘れ》を唱えます。対応なければ山札の上四枚を捨て札へ、その後ワンドロー」
「どうぞ」
「なにもなければエンド」
 よどみなく宣言する店員に、美奈は頷く。《巡り周る回想》は捨て札を活用するデッキだ。捨て札を溜め、それをリソースにするギガモンでライフを削る。一ターン目の《もの忘れ》はかなり良いスタートと言える。
「私のターンね。《歩き茸》を召喚。ライフ回復」
 美奈は小粒のギガモンを場に出す。手になじんだ自分のデッキではないけれども、デッキの動きは分かっている。どのように動かれるのが嫌かも。《霧森の迷い路》が本領を発揮するのはもう少し先。でも、準備はしておかないといけない
 対戦は静かに進む。店員は最初こそゆっくりとプレイをしていたけれども、美奈のプレイを見て、次第にプレイ速度を上げていった。
「奥さん、誰かとギガモンやってたんですか? あー、《空腹蛹》。除外はこの三枚で」
 店員はギガモンを場に出しながら尋ねた。捨て札を食べる生き物だ。呼び出すときには捨て札を除外する必要がある。除外したカードを表すために、店員はギガモンの下に捨て札からカードを三枚置いた。
「まあ、ちょっとね」
 美奈は答えながら考える。
「《道惑わし》を乱入効果で唱えるわ。出た時効果で《空腹蛹》と私の《歩き茸》を手札に戻します。《道惑わし》はそのまま捨て札へ」
「対応ありません」
 店員は美奈の出したギガモンを見て、少し顔をしかめて唸った。
「それもいいカードですよね。序盤は妨害に使って、後半は戦闘要員になって」
「本当ね」
「構築戦だったら、絶対もう少し枚数入れてるな」
 店員は頷く。構築戦というのは聞いたことがある。自由にカードを選んでデッキを組む形式だ。むしろ、そちらの方がギガモンカードの一般的な形式らしい。
「でしょうね」
 美奈も曖昧に頷きを返す。
 買ってきたエントリーデッキのままで遊んでいた美奈と夫には関係のない形式だった。
「《踊り茸》出しなおして回復」
「出しなおされると地味に強いんですよね、その茸」
「そういうデッキだから」
 いつの間にか美奈の口元には本当の微笑みが浮かんでいた。久しぶりに触るカードたちがようやく手の中になじんできた。
 その手の感触に、ぽつりと言葉が漏れた。
「夫とやってたの」
「ギガモンをですか?」
「そう。ずっと毎晩」
「毎晩? それはまた……どういうきっかけで?」
 ターンエンド。店員は《思い起こし》をキャスト。捨て札に残った《もの忘れ》を手札に戻してそのまま唱える。
 美奈の記憶に、二十年前の夜が蘇ってくる。ずっと遠くに行っていた記憶。でも、確かにずっと残っていた記憶。
「そう、これが出た年だったと思うから、二十年ね。夫が持って帰ってきたの、会社のクリスマス会だったかな、景品か何かでもらったんだって言って、折角だから一勝負してみようかって」
 美奈の口から小さな笑い声が漏れる。
 《歩き茸》を取り除いて《水煙草の芋虫》を召喚。自分のギガモンを一匹除外する必要がある大型のギガモン。出た時効果で一枚ドロー。
「ついてた説明書見ながら、『あーでもないこうでもない』って言いながら。今考えたらいろいろルールも間違ってたんだろうな」
「あの説明書、微妙にわかりずらいんですよね」
 店員がカードを引きながら頷く。
「確か最初、私が勝っちゃったのよ」
「すごいじゃないですか」
「まあ、あの人もその時が初めてだったから。でもね、それからが大変で。あの人すごく悔しがってさ、もう一回もう一回って聞かないんだから」
 捨て札を食べながら《空腹蛹》がもう一度呼び出される。美奈は少し考えてそのままターンをもらう。
「それからね、結局、毎晩遊ぶことになって。ずっと。二人で」
「このデッキでですか?」
 店員は机の上に広げられたカードを見つめながら言った。美奈は手に持ったカードの裏面を撫でた。
「うん、別に新しく買うこともなかったから。時々交換してみたりもしたけど。でも、ずっとこの二つのデッキ。スリーブ買ったのも途中からだったから、カードも結構傷んじゃってたでしょ」
「まあ、使い込んだカードだな、とは思いましたけど」
 美奈はイラストを撫でるように、場にそっとカードを置く。《霜憑きパン猫》を召喚。《空腹蛹》を眠りにつかせる。ギガモンを戦闘エリアに送り込み、店員のライフを削る。
「あの人面白いのよ。勝った時も、負けた時も、一つずつノートに記録付けてて。これで勝ったんだ! とか、こうしとけば負けなかった! とか毎度毎度まじめに言い出すんだから」
 美奈は《霜月パン猫》を見ながら笑った。
「今の手だったら、『今夜は決着が早いぞ!』って言ってたでしょうね」
「いい練習環境じゃないですか」
 店員は《引きずりこむ腕》を召喚。墓地の枚数を参照したサイズ制限付きの除去内蔵ギガモン。《水煙草の芋虫》には届かない。店員は《霜憑きパン猫》を除去。美奈はこれも通す。
「別に、練習なんてしてるつもりはなかったのよ? ただ毎晩遊んでただけ」
「それはきっと楽しかったんでしょうね」
 笑いながら、店員が呟く。
 よどみなく動いていた美奈の手が止まった。手札を見つめて考えるふりをする。頷いて対応がないことを示してから、首を傾げる。
「どうなんだろ。もう毎晩やるのが習慣になってただけだから」
「楽しくなかったら続かないでしょう」
「そうね、うん、そういう意味では、楽しかった……んだと思う。いろんな手札がきて、いろんな盤面ができて、いろんな選択を取ってみて」
 戦闘。店員は防御ギガモンを割り振らない。《水煙草の芋虫》が《引きずりこむ腕》と眠る《空腹蛹》のわきをすり抜け、店員のライフを削る。
「その……旦那さんは、あの?」
 手札の上から美奈の様子を窺いながら、店員は躊躇いがちに尋ねた。美奈はターンを渡しながら、口を開く。
 できるだけ沈んだ声にならないように気を付けながら。
「今入院中。病気しちゃって。倒れちゃって」
「あー、そう、なんですか」
 気まずそうに店員は頷く。目を覚ました《空腹蛹》と《引きずりこむ腕》が攻撃。美奈のライフが削れる。その後店員は《見つめる貝殻》を召喚。出た時能力で捨て札を肥やす。
「悪いんですか?」
 美奈はゆっくりと首を振った。今日、ベッドで眠る夫の隣で聞いた医者の話を思い出しながら。
「すぐどうこうってわけじゃないんだけど」
「ああ、それはよかったです」
 美奈は頷く。
 そう、すぐ命が危ないというわけではない。ないのだけれども。
 盤面に意識を集中する。少しだけ不利だ。《踊り茸》が稼いでくれたライフのおかげで、少しだけ余裕はあるけれど、このままではじり貧になってしまう。次のターンは《水煙草の芋虫》を防御に回したほうが良いだろう。
「でもね」
 口を開きかけて閉じる。ドロー。
「どうかしましたか?」
 手札と盤面を見るふりをして、少し考える。首を振る。
 《水煙草の芋虫》で攻撃。
 店員も少し間を開けて、防御ギガモンを指定。《引きずりこむ腕》が《水煙草の芋虫》を阻み、そのまま倒される。
 《道寄せ野ばら》を召喚。蜂トークンを同時に場に出す。
 この店員もギガモンにずいぶん慣れているのだろう、と思う。自分たちが毎晩繰り返していたのと同じように、どこかでたくさんの対戦をしてきたのだろう。
 こうして対戦をしていると、なんだか互いのことをよく知っているような気持ちになってくる。
 だからだろうか、美奈の口から途切れさせた言葉の続きが転がり出たのは。
「先生は、たぶん、あの人もう家に帰れないだろうって」
「はあ、あー」
 店員は曖昧な声を漏らした。美奈はきゅっと口を閉じた。良くなかった。良くない話題だった。初対面の相手に対してする話ではなかった。
 店員は困ったように眉を八の字に寄せた。
「でも、だったらこのデッキ、売らないほうが良いんじゃないですか?」
 店員の言葉に、美奈は黙って首を振った。
「旦那さんとの大事な思い出なんでしょう?」
「そうね」
 《空腹蛹》と《見つめる貝殻》が攻撃。《貝殻》が墓地を肥やす。蜂トークンで《空腹蛹》を防御。《蜂》は一方的に倒される。
「でも、デッキが家にあると思い出しちゃって辛いから」
「そうですか」
 店員は頷いた。何かを考えているような顔をしながら。考えているのは試合の展開だろうか、それとも美奈が口にした面倒な事情についてだろうか。
 前者であってほしいと、美奈は思う。
 誤魔化すように明るい声で宣言する。
「ターンもらって、《道惑わし》を正式に召喚するわ。出た時効果は《空腹蛹》と《道寄せ野ばら》で」
「場に出る前に動きます。《引きずりこむ腕》乱入召喚で。除去対象は《道寄せ野ばら》。そのまま《引きずりこむ腕》は捨て札へ」
「あら」
 美奈は困った顔をした。《道惑わし》が味方と相手のギガモンを戻す出たとき効果は強制発動する効果だ。ループ防止のためだろう、味方のギガモンとして《道惑わし》を対象とすることはできない。
 つまり、《道寄せ野ばら》がいなくなってしまったら……。
「《水煙草の芋虫》を戻すしかないわね」
「ですね」
「じゃあ《道惑わし》が出て、《空腹蛹》と《芋虫》を手札に。《芋虫》が場を離れたから《踊り茸》が戻ってきて回復」
 結局、美奈の場に残ったのは《道惑わし》と《踊り茸》だけだ。
「やるわね」
「まあ、僕も結構やってるんで」
 店員は肩をすくめた。場に残っていた《見つめる貝殻》で攻撃。捨て札が肥える。美奈は少し考えてスルー。店員の眉がピクリと動く。
 捨て札を食い尽くし、《空腹蛹》が再度召喚される。手札戻しだけでは僅かな時間稼ぎにしかならない。
 美奈にターンが回ってくる。ここで何かを引かなければ削り合いに勝てない。数ターンは持っても、じり貧だ。この状況から勝てるカードは……。ドロー。《踊り茸》。これではだめだ。場の《踊り茸》を取り除き、《水煙草の芋虫》を再召喚。追加ドロー。
 これは。
 美奈は意識して表情を抑えた。
 《道惑わし》が空を舞い攻撃。店員のライフを削る。
 店員のターン。店員がドローした後に美奈が先に動く。
「《嘘つき烏の鳴声》をキャスト」
「あー、それ持ってますか」
「今引いたんだけどね。なにかある?」
「なにも。対象指定どうぞ」
「もちろん、《空腹蛹》と《見つめる貝殻》で順番は《貝殻》を下で」
「でしょうね」
 ため息をついて、店員が山札の上に《空腹蛹》と《見つめる貝殻》を置く。《嘘つき烏の鳴声》は場のギガモン二匹を山札の上に戻す、凶悪な効果を持った技カードだ。
 最初はこの技の強さはわからなかった。このカードの強さを知ったのは。
『このカード強いなあ』
 思い浮かんだのは夫の得意顔。あれはいつのことだったのだろうか。それまではどちらかというと美奈の方が勝つことが多かったけれども、その日以来勝敗は拮抗するようになったのだ。
「もったいないですよ」
 ぽつりと店員は言った。
「なにが?」
「いや、その。辞めちゃうの。ギガモン」
 手札を見つめながら、店員は言った。首を傾げる美奈に、店員は続ける。
「だって、それ引くの待ってたんでしょう?」
 店員の目が《道惑わし》と《水煙草の芋虫》、それからその下の《踊り茸》に向けられる。
「これ以外だと勝てなかったから」
 先ほどの戦闘のことを言っているのだと気がつく。
 確かに《踊り茸》を防御に差し出すという選択肢はあったけれども、そうしてしまっては打点が足りない。《鳴声》を引いても勝てなくなってしまっていただろう。
「その択とれるの、強いプレイヤーだけですもん」
 美奈は落ち着かない気持ちで、手札を並び替えた。手のひらになじんだカード。身体の一部のような手触り。
「ね、本当にいいんですか?」
 店員が美奈の目を見て尋ねた。その勢いに、美奈は机の上に目を下ろした。
「ずっとやってきたんですよね。旦那さんと。ずっと、そんなに上手くなるまで。それで、それなのに本当に終わりにしちゃっていいんですか?」
 店員の言葉は本心だろう。きっとこの店員もギガモンカードが好きなのだ。美奈がそうであるのと同じように。夫がそうであったのと同じように。
 美奈にはそれがわかった。わかっていた。それでも、美奈は目を上げることができなかった。
「……あなたのターンよ」
 しばらく黙ったまま、美奈を見つめていた店員は、一つ深く息を吐いてから頷いた。
「ええ、すみません」
 店員は手札を見て「ちょっと考えます」と続けて呟いた。
 その間に美奈はもう一度店の中を見渡した。
 カラフルなショーケースたち。そこに並ぶ美奈の知らないカードたち。これからも知ることのないカードたち。
「楽しいですよ。ギガモン」
 美奈の視線に気が付いたのか、店員は言った。
「ええ、楽しかったわ」
 美奈は答える。その答えは過去形だった。
 そう、楽しかった。
 今までの夫との対戦も。今日のこの店員との対戦も。楽しかった。これはただ、思い出を終わらせるのが惜しくて、駄々をこねただけ。これで終わり。楽しかった思い出だけを残して終わらせるのだ。
「そうですか」
 店員は頷く。頷いて、また少し黙る。
 黙って盤面と手札を見つめたあとに、店員は口を開いた。
「僕、兄貴がいるんですよ」
「一緒にやってたって言うお兄さん?」
「そうです。もう兄貴はとっくの昔にギガモンやめちゃったんですけどね」
「そう」
 美奈は頷いた。ずいぶんと唐突な話題だ。何を言いたいのだろう。
「でも、僕だけずっと続けてて。こんな店で働いてるんですけど」
「うん」
「でもね、その兄貴が最初に教えてくれたんですよ」
「なにを?」
 店員は静かに続けた。
「ギガモンの捨て札置き場は過去で、盤面が現在なんだって」
「それは、聞いたことがあるわ」
 美奈は頷く。
 その言葉は、繰り返し読んできた説明書の冒頭に書いてあった。だから、《巡り周る回想》は捨て札置き場と盤面を行き来するデッキなのだ、と続いていた。
「でも、じゃあ山札は何かって話になりません?」
「何だと思うの?」
 美奈は見慣れた山札を眺めながら尋ねた。店員も山札を見つめながら答える。
「僕は、デッキは未来なんじゃないかって思うんですよ」
「へえ」
「ええ、だって、ただ一つ何が起きるかわからない場所じゃないですか」
「ロマンチックね」
 美奈は少し意地悪な口調で続けた。
「じゃあ、今のあなたの未来はもうわかり切った未来ってことかしら?」
 美奈は店員の山札を見ながら言った。その上には先ほど置いた二枚がドローを待っている。そして、その二枚がその順番で引かれる限り、削り合いでは美奈が勝つだろう。
「未来はいつだってわからないものですよ」
 そう言って、微笑みながら店員が唱えたのは《もの忘れ》だった。
「あら」
 美奈は軽く目を見開いた。刹那、思考が止まる。ここで《もの忘れ》を使われるということは……。
「これで未来は変わります」
 そう言って、店員は山札の上の四枚のカードを捨て札に送った。そして、一番上のカードを、念じるように少し触ってから、そっと引いた。その顔がにこりと笑う。
 引いたカードをそのまま示す。
「続けて、《思い起こし》をプレイ。《引きずりこむ腕》を手札に回収してそのまま召喚します。出た時効果は……」
「《水煙草の芋虫》ね?」
「はい」
 物忘れの効果で捨て札は十分に増えている。すでに《水煙草の芋虫》もその射程に入っていた。
 《水煙草の芋虫》が破壊され、捨て札へと送られる。《踊り茸》が場に戻ってくる。けれども。
 そこからの展開は一方的だった。
 《引きずりこむ腕》は十分な打点を持っている。《踊り茸》は一時しのぎの壁にしかならず、美奈のライフは数ターンでゼロになった。
「負けね」
「いい勝負でした」
 店員が笑いながら手を差し出してきた。美奈は自然とその手を取っていた。自分の頬が柔らかく笑っていることに気がつく。
「ええ、本当にいい勝負だったわ」
「かなりギリギリでした」
「あの《もの忘れ》が効いたわ。確かにあれなら《嘘つき烏の鳴声》を抜けられるのね」
「そうなんですよ。一回、僕も兄貴にあれで勝確から抜けられたことがあって」
「そうなのね。ああ、悔しい」
 しかめっ面でこぼした美奈の言葉を聞いて、店員は「ふふ」と笑った。
「なあに?」
「悔しいですか」
「ええ、そりゃあそうよ。知ってたらもう少し気を付けられたかもしれないんだもん」
 口をとがらせながら、美奈は言い返す。
 今の手を夫に伝えたら、何と言うだろう。笑うだろうか。それとも驚くだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
 店員はもう一度笑って尋ねた。
「ねえ、奥さん。本当にやめちゃうんですか?」
「え?」
 店員の問いに、美奈はまた言葉を詰まらせた。
 けれども、今度はすぐに次の言葉が出てきた。
「やめないわ」
 自分の口から出た言葉に、少しだけ驚く。もう一度その言葉を確かめる。間違いじゃない。思い付きでも、気の迷いでもない。
 美奈の心の中にある感情は確かな質量をもったものだった。
 だから、美奈はその感情を口にする。
「やめない。だって、悔しいんだもの」
「そうですか」
「うん、私、このデッキだったらもう全部のカードと全部の盤面と全部の使い方知ってると思ってた。でも、まだ知らないカードの使い方があったんだもの。もっと、もっと知りたいわよ」
「そうですか。そうですよね」
 店員は言葉を繰り返して頷いた。その顔にはとてもうれしそうな笑顔が浮かんでいる。
 美奈は店内を見渡した。壁に貼られた見知らぬギガモンが美奈に微笑みかけているように思えた。
「ねえ、またここに来てもいいかしら。せっかくだから、なにか新しいカードも知りたいわ」
「ええ、もちろんですよ。奥さん、結構競技に向いてると思いますし。今ちょうどホリデーキャンペーンっていうのやっててお得にそろえられますし。そうですね。《巡り周る回想》と似たコンセプトのデッキだと……」
 美奈は少し早口になった店員の説明を聞きながら、机の上のカードに目を戻した。
 そこには古き良き絵柄のギガモンたちが自分たちの繰り広げた熱戦を誇るように机の上に広がっていた。

◆◆◆

 数か月後。
 昼過ぎの客足の途絶えた時間、『カードショップ 降池堂』の扉が不意に開いた。
「いらっしゃいませー」
 卵とウサギの被り物をかぶった長髪の店員はスマホに目を落としたまま、気のはいらない声を出した。
 杖を突くたどたどしい足音と、それに付き添う軽い足音が、店内に流れるギガモンたちの歌うイースターソングの合間に聞こえた。
「ね、この辺のギガモン、あなたのデッキに合うんじゃない?」
「ああ、ああ、いいかもしれないね」
「新しいデッキを作るのもいいかもしれないわね。先生は頭と手を動かすのがリハビリになるって言ってたじゃない」
 カードゲームショップでは珍しい、重ねた年を感じさせる夫婦の会話に、店員はちらりと視線を上げた。
 そっとショーケースの間から覗き込み、店員は破顔した。
「ああ、いらっしゃいませ。奥さん。そっちは旦那さんですか?」

 『カードショップ 降池堂』の週末ショップ大会の決勝戦で老夫婦が熱い対戦を繰り広げるのはもう少し経ってからの話だ。

【おわり】


 というわけで、本日12/6のパルプアドベントカレンダーは海月里ほとりがお送りいたしました。

 例年、カチコミ枠で参加していましたけれども、今年は一念発起してレギュラー枠で参加してみました。

 1日から24日までノンストップでお送りするパルプのプレゼント。
 ここまでも大変エキサイティングな話ばかりですし、ここからはさらに加速していくことでしょう。
 ちぇっくいっとあうとですわ。

 さて、無事投稿できて肩の重荷も降りたところで、カチコミ枠用を書くぞー!

 明日12/7のご担当は素浪汰 狩人 slaughtercult=サンです。
 タノシミ!

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