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【連載版】発狂頭巾二世―Legacy of the Madness ―10
八の言葉に貝介も幼子の顔に目をやる。驚きに貝介の目が僅かに見開かれた。足元で八を見上げている幼子は、先日発狂頭巾の模倣者に捕らえられていたあの幼子だった。
「こら、ヤスケ。走り回ったりしたら危ないだろう」
「ごめんなさい」
「あっしは大丈夫だけどよ、人の多いところで走り回ったら危ねえぜ。次からは気をつけな」
八は穏やかな声でそう言うと幼子の頭を撫でた。
「あれ? もしかして、八さんと貝介さんですか?」
父親が驚いたように声を上げた。再び恐縮したように顔を伏せる。
「その……先日はどうも、本当にありがとうございました。ヤスケ、ほら。この間助けてもらった」
「あ! あの時のお兄ちゃんたち!」
貝介たちの顔を見上げてヤスケと呼ばれた幼子は叫んだ。貝介はそのまっすぐな輝く目から目を逸らして曖昧に頷いた。
「ああ、いや」
「あの時の子じゃねえか。どうだい坊や、その後怪我はなかったか?」
「ええ、お二人のおかげで、怪我一つなく、はい」
父親の顔がほころび、明るいものになる。眼尻がさがり、額に刻まれた深い皺がかすかに薄くなる。
父親の顔の皺が乗り移ってきたように、貝介の顔は険しくなった。
「ぜひともお礼を言わないいといけないと思ってたんですよ。発狂改方の方にも伺ったのですけれども、お忙しい様子でしたから、どうにも」
「いや、あれは……」
「気にすることじゃありませんぜ。あっしらは務めを果たしただけでやすから」
八が貝介の言葉を遮りながら目配せをしてくる。貝介は唾とともに言葉を飲み込んだ。ひどく喉越しの悪い唾だ。
あの日、発狂頭巾の模倣者を斬り捨てた謎の影。
その動きはあまりにも疾く、常人には何が起きたかがわからなかったとしても無理はない。辛うじて影を視認した目撃者はいただろうが、幻影画の中から抜け出してきたような発狂頭巾の影の動きまで認識できたものは少ない。よしんば見えていたとしてもそれが現実に見えたものだとは考えないだろう。
であれば、あの場で非振動鉈を抜こうとしていた貝介が模倣者を斬り捨てたのだ、という認識はとても自然なものだった。
あの後、多くの目撃者が貝介と八を勇敢な救出者として讃えた。この父親もそう認識しているのだろう。
敢えて説明して訂正する必要はない。貝介に送られた八の眼差しはそう語りかけていた。
「あのときはありがとう! お兄ちゃんたち」
無邪気な声が貝介の耳に突き刺さった。
「ああ、無事ならよかった」
「お兄ちゃんたち、かっこよかったよ。発狂頭巾みたいだった」
「ありがとう」
貝介はこわばる頬を意識して持ち上げて笑顔を作る。本当に笑顔になっているだろうか。
「あんなことがあっても、発狂頭巾が好きなんだな」
笑顔の幼子の額のあたりを見つめながら貝介は尋ねる。幼子は首を傾げた。
「だって、あれは偽物だから」
「そうだな」
「本物の発狂頭巾はもっとかっこいいし優しいんだよ」
「そうだな」
貝介はもう一度頷く。
幼子の澄んだ瞳がまっすぐに見つめ返してくる。
【つづく】