「ザ・フィフス・スター・シャイニング・グローリー」2
さあはじめましょう
その言葉はどちらのものだったのか。
「一番」と「二番」、東ゆうと水野サチが出会えば、即座に舞台の幕は上がる。
奪い合いのライブの幕が。
夜空の星空じみた照明がまばゆく灯り、巨大なスピーカーが腹を震わせる低音を吐き出す。スピーカーが奏でるのはきらびやかなイントロ。
最初の曲はノリのいいアップテンポな曲。
観客のテンションを引き上げて、一気にライブの世界へと引き込む曲。
選曲の意図を理解している。
考えるまでもなくゆうの体が動く。血のにじむようなレッスンの末に、無意識になるまで身にしみ込ませた優美なステップ。
フリの流れで横目に隣の「二番」の様子を窺う。
もちろん完璧なステップだ。当然だ。そうでなければここまで来ることはできない。
ゆうの視線が「二番」の顔を見る。
その顔には微笑みが浮かんでいた。踊ることへの喜びが、ここにいることへの喜びが、その顔に、ステップに表れていた。
じくりとした痛みが、ゆうの胸の内に走った。わずかな痛みだ。踊りのフリは乱れない。
イントロが終わり、歌が始まる。
第一声はもちろん「一番」のもの。
ゆうは息を吸い込み、そして吐き出す。
コンマ一秒のずれもない、完璧な入り。
何度体験してもライブのステージはゆうの心を燃やす。身を焦がすような熱狂が、ゆうの思考をとろかしていく。
胸の熱を歌に込める。歌は口元のマイクを通りぬけ、スピーカーによって会場いっぱいに拡声される。聞くものすべてを惹きつける美しい声だ。
この熱狂の瞬間がゆうは大好きだった。
走り続けてたどり着いたこの光景。
歌を届けて、踊りで魅せる。それがアイドルの本質だ。
だから、こうして歌い、踊っている瞬間はゆうは自分が目指した存在でいると思える。それはたまらなく心地が良いことだった。
たとえそれが歌と踊りで相互に心を殴り合うような、陰惨な奪い合いのライブの最中だったとしても。
「二番」の歌のパートが始まる。
「二番」の声が会場に響き渡る。
ゆうは息をのんだ。その歌声は、「二番」のダンスと同じくアイドルである喜びに満ち溢れた歌声だった。
――なかなかやる。
ゆうは心の内で舌を巻いた。悪くはない。感情がのりすぎているきらいはあるが、そのポジティブな感情は聞く者の心に伝播して、気持ちを大きく盛り上げる。
その歌声をゆうは平坦な気持ちで聞いた。
心を奪われることはない。ライブとは心の殴り合い。魅了されて足を止めてしまえば、あとは打ちのめされるだけ。
向かい合うべきは自分の心。
最高のパフォーマンスを成すためには、動じることなく自分の心をコントロールする必要がある。そのストイックさにおいて、東ゆうは歴代でも有数の「一番」であった。
再び、ゆうがダンスを開始する。複雑なステップを踏み、腕を振り上げ、体幹を揺らし、観客に一番美しく見える動きで一瞬一瞬を構成し続ける。
踊りながら、ゆうは湧き上がる感心の気持ちを抑えられないでいた。
ゆう自身がストイックだからこそ、「二番」の少女がここまで辿ってきた道のりに思いをはせてしまう。自分が辿った道がそうであったように、「二番」の歩んできた道もけっして平坦なものではなかっただろう。
だが、それでも「二番」は笑っていた。いまここにいることを楽しむように、アイドルの舞台に立つことへの喜びが、今までのどんな苦難にも勝るというように、その笑顔は心の底からのものだった
ゆったりと曲調が変わり、二人で踊るパートにうつる。
その刹那、「二番」がゆうを見た。
「アイドルって楽しいね。東ちゃん」
その唇の動きは、ゆうには確かにそう見えた。
【つづく】
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