電波鉄道の夜
この街の飲み水にはひどく小さな機械が沢山含まれていて、それらは飲んだ人たちの体の中で連結して(体内の塩分で動くのだ、と店長は言う)、山奥に建つ二本の幽霊電波塔から発せられた電波を受信し、街の人々の頭の中に非実在のアイドル、セロリモネの像を結ぶのだ。
勿論、疑問に思うことはある。僕に微笑むこのモネと店長や坂崎さんの頭の中にいるモネは同じなのだろうか?
そう尋ねるとモネは笑って答える。
「違ったら駄目?」
それで、いつもどうでもいいと思う。どうであってもモネは僕たちに「今日もお仕事頑張って」と笑ってくれる。それだけでいい。
夜遅くに声を聞いた。
「ねえ、起きてる?」
窓の外から。開かれなかったショッピングモールの跡地にしみ込む、小さいけれども澄んだ声。頭の中にいつも響いている声。
この時間に聞いたのは初めてだ。
声に誘われて歩き出す。モールの外へ。罅割れたアスファルト。珍しく今夜は誰もいない。
駐車場の端、ヘリの残骸の影に赤いリボンが見えた。燃える赤のリボン。
「モネ?」
言葉が返ってくる。
「来ないの?」
リボンが揺れる。走り出す。夜歩きの危なさは頭から消え去る。
曲がり角に赤が消えた。
追いかけて角を曲がる。
セロリモネが澄ました顔で立っていた。その口が開く。
汽笛が耳を劈いた。
まばゆいヘッドライトに目が眩む。光の中、赤いリボンが舞う。
一両の電車が通り過ぎた。モネを赤黒い破片に挽き潰しながら。
呆然と、立ち尽くす。
ゆっくりと電車が戻ってくる。散らばった赤黒を丁寧に踏みしめて。
扉が開いた。一人の男が出てくる。制服を着ている。運転手だ。運転手は僕をじっと見て言った。
「乗りますか?」
自分がボックス席に座っているのに気が付いた。草臥れたクッションにお尻が沈む。
電車が動き出す。窓の外で夜の街が加速していく。
「隣、あいてる?」
耳に馴染んだ声がした。目を上げる。見慣れた澄まし顔。
電車の揺れに合わせて赤いリボンが揺れる。
【つづく】