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【連載版】発狂頭巾二世―Legacy of the Madness ―44
ひたひたと暗い廊下を歩いていく。まだ痕跡は確かに見えている。
「なあ、八」
静寂の中、貝介は低い声を出す。八が目だけを貝介に向ける。
「もしも、俺が……」
続く言葉を思い浮かべて、貝介は口を閉ざす。八は何も言わずに前に向き直る。何を言おうとした?
もしも、俺が――
――発狂頭巾になってしまったなら。
貝介は吞み込んだ言葉を追い払う。何を馬鹿なことを。自分は発狂頭巾ではない。父親は発狂頭巾だが。発狂頭巾は遺伝するものではない。貝介はヤスケの父親との会話を思い出す。あの時に胸に乗り移った熱を。むしろあれは、感染するような熱。流行り病のように。言葉が呼び起こす欲求。
「次はどっちですかね?」
曲がり角で八が尋ねる。
「右だ」
貝介は痕跡の続く方を指差す。
「何がいるかはわからんですがね」
八は立ち止まったまま、貝介の顔を見つめた。
「何かに気を取られてちゃあ、勝てるもんにも勝てんですぜ」
「わかっておる」
貝介は目をそらし、歩き始める。そんなことは分かっている。予想もつかない行動をしてくくる発狂模倣者に打ち勝つには、絶えず集中していなくてはならない。一瞬でも気がそれれば、それが最期の瞬間となる。
教練の最初の日に教わったことだ。父の部下のおじさんが支障となったあの日に。
貝介は自らの頬を張った。
「すまん、先にいこう」
何が待っているにせよ。自分たちにできることも、するべきことも決まっている。判断し、対処するだけだ。
◆
光痕は次第に強くなる。貝介は声を潜めて言った。
「あそこだ」
廊下の先、奥まった一室から幻の光は煌々と漏れていた。
貝介は、振り返り八に手で合図を送る。八は頷き、足音を忍ばせて貝介の少し後ろに位置どる。急襲を受けたときに援護できる立ち位置。貝介はゆっくりと扉を細く開け、中の様子をうかがう。
眩い光が部屋を満たしていた。光は机の上に置かれた数冊の本から発せられていた。部屋の中には誰もいない。少なくとも見える範囲には。貝介は八にさらに手で合図を送り、扉を押し開く。八が音もなく部屋に滑り込む。
目を見開き、部屋の中を見渡している。八にこの光は見えているのだろうか? 八が振り返り、手招きをする。
「おやおや、お足の速い」
突然、背後から声が聞こえた。完全に不意を突かれる。貝介は前に跳び、声から距離を取る。同時に腰の非振動鉈を抜き放つ。
「何者だ!」
「ああ、やっぱり、貝介さんじゃありませんか」
鋭い誰何に返ってきたのはひどく落ち着いた声だった。聞き覚えのある声だった。
「ヤスケの」
「どうしたんですか? こんなところで」
ヤスケの父親は笑みを浮かべながら首をかしげる。ヤスケと話しているときの優しげな顔とは全く違う、獰猛さを感じる笑顔。
「それはこちらの台詞だ」
「ちょっと、道に迷ってしまいましてね」
「迷い込むようなところでもなかろう」
その笑顔を睨みつけ、貝介は尋ねる。
「嫌だなあ、そんな怖い顔をして」
「ごまかすな。なぜここにいる」
少しだけ間が空いた。細く弧を描く目が部屋の中を覗く。光輝くその部屋を。
「そんなの、わかっているでしょう?」
【つづく】