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劇場版スタァライトのこと、あるいは君はきらめきを見たか

 題名の通り、「劇場版 少女歌劇 レヴュースタァライト」を見たので感想を書く。だらだらと。
 いやあ、よかったですね。何度か知らぬ間に涙をこぼしていた。全編にわたって笑っちゃうほど絵がカッコいいんですよ。TV版の時から絵面のかっこよさはもちろんあったのですけれども、映画館のでかいスクリーンで見ると迫力がいやまして感じられるってもんだい。
 歌劇なので歌とかも映画館の方がかっこよく聞こえるしな。 

 動画も、音楽も、演出もよいのですけれども、特におもしろいなーって思ったのはストーリー構成ですね。凝ってるというか、高度というのか、なんか構成がすごいなって思った。そんで、それを言語化してみたいなというのが今回の記事を書き始めた動機だったりする。
 そこまでストーリー構成の勉強してるわけじゃないので、専門家から見るとありふれた話をしているのかもしれないが、それはご愛嬌と言うことで。
 あと、この作品かなーりシーンが飛ぶので順番が回想する順番が正確ではないかもしれない。

TV版含めてネタバレはあるので、君がそれを気にするというのならば、一度ブラウザバックして映画館を検索するなり、TV版を見てから映画館に行くなりすればいいと思うよ。
 わしは放送当時にTV版を見て、それ以来離れていたけれども、評判の良さに映画を見て、心燃えて、TV版を見直して、この前もう一度見に行った。一度だけしか見ないつもりならTV版を見てから映画館に行くことをお勧めするよ。1クールなので頑張ってみれば六時間もあれば見れるしな。
 推しはじゅんじゅんです。







 スペースはとった。行くぜ。

 そう、ストーリー構成のお話。
  ざっくり結論を言っておいた方がまとまりがいいのかな。
 メインの華恋とひかりの物語を中心として、そのほかの99期生たちの物語のテーマが挿入される。それらは一見TV版から続くそれぞれの物語、葛藤のように思えるのだけれども、実はメインの華恋-ひかりの物語の結末に向けての伏線、というか補助線になっているんだなって思った。

開幕

 
 優れた物語が大抵そうであるように、この映画も冒頭でテーマが提示される。
 からっぽの砂漠で空を仰いで横たわる華恋、かっこいい戦闘シーン、なんか倒れてる東京タワー。
 もし君がTV版のスタァライトを見ていなかったとしても(あるいはそれはなんという幸運だろう!)君はああ、この映画はなんだかよくわからないけどかっこいい絵と戦闘シーンがある映画なんだなってわかるという寸法さ。
 さて、そんなカッコいい絵を見せた後に提示されるテーマは、たしかひかりの口上の締めだったと思うのだけれども、
 「定めは変わる」
 だったかな、細かいとこは違うかもしれないけれども、これが全体のテーマなんだよね。
 「定め」ってのは「運命」だ。(もしも、今noteにルビの機能があるなら運命の上にさだめと振るところだよ)運命の舞台の「運命」だし、TV版から引き続き繰り返される幼きひかりのセリフ「約束じゃないよ、運命だから」の運命でもある。
 
 さて、メインのストーリーはTVに引き続き、愛城華恋とひかりの物語ですね。時系列的にはTV版の一年後、100回目のスタァライトが終わって99期生が三年生になった時。
 最初に99期生がかわるがわるに担任の先生と進路相談をする場面と華恋が101期生を案内する場面が交互に語られる。
 これはそれぞれの現状の確認、といったところですね。とりあえずは君の推しがどんな進路を選んだのか、今どんなことをしているのかというのを気にしていもらえばいいと思う。
 進路相談は華恋の白紙の進路調査書とひかりが退学したことを提示して締めくくられる。それとオーバーラップするように華恋と星見純那が立ち稽古をする場面が挿入される。

 この場面がかなりわかりやすく華恋ーひかりのメインストーリーと純那ー大場ななのサブストーリーのリンクを示していると思うんだよね。
 挿入の直前に語られる純那の進路は「大学への進学」。それは舞台を一度捨てるということ。純那が決意の言葉を先生に述べると、稽古のセリフが続く「行かねばならぬのだ、あの大海原へ」。それを受けて華恋は同じくセリフで「君が私を海へ連れてきた」「どうして行ってしまうのだ」、泣き崩れてセリフが出なくなる。そのセリフを見ていた大場ななが継いでぽつりと「友よ」。場面切り替わってロンドンで河を見つめるひかりと続く。

 ここいいよなー。

 華恋はセリフの中にひかりを見ている。自分を演劇の世界に連れてきて、どこかに行ってしまった友。華恋とひかりの約束(=運命)である「二人でスタァになる」ために頑張ってきた。けれどもそのひかりがいなくなってしまったので華恋には先が見えない。
 同時に純那は大海原を見ている。「いつか」偉大な同期たちに追いつくために、見知らぬ大海原に漕ぎ出ようとしている。大場ななにはそれが「芝居から逃げること」に見える。舞台の世界から「行ってしまう、友」に見える。
 というのがこのシークエンスで示されているんだよ。

 次、99期生の日常場面。話題の中心は「新国立第一歌劇団」の舞台を見に行くこと。みんなワクワクしてる。まひる・双葉は憧れの劇団員に質問をたくさんまとめているらしい。
 キレる香子。ここで前半の問題提示。

 「(TV版、あるいは第100回聖翔祭)スタァライトのあと、それでも99期生は舞台少女なのか?」

 それはスタァなのかということ。舞台に憧れる99期生たちはただのファンになってはいないだろうかということ。
 舞台に立つものか、それを見るだけの者かと言うのが一つのテーマですね。後々効いて来る、覚えておけ。
 舞台を見に行く99期生は地下鉄に乗る。相変わらず、うきうきしている。(ちなみにこの時、純那もまひる・双葉と同じように質問を大量に考えているけれども「こんな機会めったにないから」とどん欲な面を見せているのが少しふふってなるポイントです)
 香子と大場ななは不満げ、だったかな。それは99期生たちがただのファンとして振る舞っているように見えるから。
 そして突然に呼び出しのベルが鳴り、レヴューが始まる。
 

W(i)ld スクリーーーン バロック 皆殺しのレヴューの開演です。

 テレビ版で黒幕を務めた大場ななによる蹂躙。この場面の大場なな、無茶苦茶強いですけど、いや、実際無茶苦茶強いので、スタァであることを忘れていた他の99期生よりはるかに強くて疑問はないんですけど、全員ぶっ殺す舞台装置としての強さもあるのかなと思いました。腑抜けている99期生を殺す、物語を進めるための舞台装置。
「強いお酒を飲んだみたい」
 という肉体の実感を伴わないセリフが象徴しているように思えますが、べつにちがうかもしれない。

 このレヴューで特徴的なのは決着で「血しぶき」があがることでしょう。TV版ではたぶん生々しい切り合いはなかった。上掛けを落とされたら決着だったので。が、皆殺しのレヴューではななに切り捨てられた99期生たちは血を流して倒れます。
 ナチュラルスタァ天堂真矢は「うろたえるな! 舞台装置だ!」とその血が舞台装置からふりそそぐ血のりであることを即座に看破しますが。
 舞台の上で殺されて、99期生たちは自分たちがすでに舞台の上にいることを思い出した、ということなのかな。
 この血しぶきは劇場版とTV版を区別するところだと思います。舞台の上なんだけど、芝居じゃない、役じゃない生身の肉体であること。その象徴としての「血」。

 一方そのころ、先の見えない華恋はレヴューに参加せず電車に乗ったまま、砂漠へ。で、過去回想に入るのだっけか。
 回想については後で書こう。

 場面切り替わってB組、脚本&演出コンビ。この場面もいいよね。ちなみに期日までに脚本を書いてくれる脚本家はすごくありがたい存在です。書こうとしてくれるだけでも。
 さておき、この場合の脚本家雨宮は後者だったようで、決起集会の日までに第一稿をあげるという約束を守れないでいます。演出家眞井はそれでも進めと決起集会に出ろと言います。
 なんなんでしょうね、この場面。え、私が知らないだけでこの二人のスピンオフとかあったんですか? みたいなレベルで濃密な関係性の描写なんですけれども。どうしてくれる。供給を、供給をよこせ!
  閑話休題。これも象徴的な場面ですよね。つづく決起集会での演説も含めて。

「脚本が完成していなくても進め(進まなくてはいけない)」(眞井が雨宮に言った言葉)
「よいものを作ることができるのか、怖い」(眞井の演説)
「頂に背をむけて、今こそ塔を降りるとき、新しい体に血を入れて」(うろ覚え、脚本の中のセリフ)

 ここから先は脚本のない物語、今までの役から離れて、新しい道へ。
 TV版大場ななの主題への対応のようにも見えますね。
 

 再び電車の上、自分の死体に寄り添う99期生たち。古い体に燃料入れて、舞台少女として再燃します。

そして、始まる連続レヴュー


 レヴューの中身について語る言葉を私は持たない、ここではかいつまんで私の見たなんかを書かせてもらう。

・怨みのレヴュー、双葉ー香子
//*いちゃいちゃしすぎでは? というか、フィニッシュのポーズよ。
 ところで、脱線ですけど双葉に新国立第一歌劇団を勧めたのはクロちゃんなの、なかなか面白いですよね。双葉ークロちゃんは両方とも追いかける者なわけで、クロちゃんの側からはなにか思うところがあったのかもしれないですね。〔求考察〕あと、後述する真矢クロレヴューでクロちゃんが悪魔なのを考えると少し笑える。*//
 お仕着せの準備されたうっといきれいごとじゃなくて、あんたの本当の言葉はなんなんだ? 
 ―私のわがままを聞いてくれ

・競演のレヴュー、まひるーひかり
本当の台詞を頂戴
「舞台に立つのは怖い」

・狩りのレヴュー、ななー純那
//* 誰かの言葉じゃとどかない。
 じゅんじゅん復活の口上、最強に熱いんですよね。TV版を踏まえているわけです。ななが負けた後にじゅんじゅんが慰める言葉、いろんな名言を次々に言って、最後には自分の口上でななを笑わせる場面ですよ。
 今回も言葉が純那の背中を押す。けれども、誰かの言葉じゃどこにも届かない。本物である大場ななにはかなわない。最後の最後に、泣いて立ち上がるのに必要なのは自分自身の口上なんですよ。最強じゃん。*//
 ここでもお仕着せの言葉じゃなくて、自身の言葉をよこせ。
 もう一つ、この舞台の終わりは次の舞台を目指す道の始まり。いつかどこかの舞台で会いましょう。

・魂のレヴュー 真矢ークロディーヌ
//*イチャイチャしすぎでは?「あんた今一番かわいいよ」「私はいつでも一番かわいい」「私にはあんたを」*//
 スタァは空っぽの器なんかじゃない。しっかり中身が詰まってる。
 レヴューが終わっても、舞台少女は終わらない。

 

太字にしたところが、最後のレヴュー、ひかり―華恋のレヴューへの補助線になっていますね。
 というか、結構「役から離れた本当の言葉、あなた」というのがキーワードになっている気もしますね。脚本のない部分の言葉、といいますか。

大団円:ひかりー華恋のレヴュー

 華恋の話をしよう。ここまで現在の華恋は、白紙の進路用紙、無人でゆく先のわからない電車、砂漠、脱線した線路、などなど、空っぽで目的の見えない、というモチーフが繰り返されている。
 現状として目標を失っている。
 TV版でもそうだったし、何度か挿入される回想シーンを見ても分かるように、華恋の舞台へのモチベーションは幼き日のひかりとの約束(=運命)をかなえることだった。

「輝くスタァに二人で」

 この目標は二つの意味で失われている。
 一つにはひかりが退学してロンドンに行ってしまったこと。
 もう一つは舞台「スタァライト」で二人でスタァになってしまったこと。

 レヴューの果てに、華恋にようやく会えたひかりは、私の記憶が正しければこんなことを言ったと思う。(もしかしたら全然違う言い回しかもしれない。この辺はもう意識があいまいになるのだ。いつも)
「その言葉は、セリフ? それともあなたの言葉?」
 今までの、ひかりとスタァになることを目指していた華恋、約束のために舞台少女をしていた華恋。その約束がかなったあとの華恋はどうなるのか、そこに言葉はあるのかと問いかけてくる。怨みのレヴューと狩りのレヴューの答えの一つだよね。
 華恋は突然画面のこちら側を見て、観客の存在に気が付く。ここはTV版のキリンが突然語り掛けてきたのと同じつくりだね。
「客席ってこんなに近いんだ。照明ってこんなに熱いんだ。舞台ってこんなに怖いんだ」
 自分が今舞台の上にいることにようやく気がつく。
 ここまでの愛城華恋は自分が舞台の上にいることに気が付いていなかった。なぜなら、華恋は約束(=運命)をかなえるために舞台少女になったから。脚本の中の自分と生身の自分が一致していたから。

 吞まれすぎてちょっとこの辺の時系列曖昧なんだけど、華恋がここで一度死ぬ。ひかりがガチで戸惑うほど本当に死ぬ。
 舞台少女としての死。約束を果たしてしまった、運命の果てにたどり着いてしまった華恋は突き動かすものは何もなくて、死ぬしかない。
 本当に?
 ここで満を持しての「ワタシ再生産」。初見で、予測可能回避不能だったよ。
 過去を、思い出を、捨ててきたものを全部燃やして愛城華恋はワタシを再生産する。
 約束の向こうに、ひかりと一緒にスタァになるためじゃあなく。
 ひかりに見とれて、悔しいと思ってしまったから。

 スタァにあこがれるファンになってしまっては、スタァそのものになることはできない。

 だからひかりは逃げ出した。双葉は香子のファンであることをやめた。ななは純那がただのファンになっているんじゃないかと不安に思った。クロちゃんはいつのまにか自分がファンになってしまっていることに気が付いた。
 愛城華恋は神楽ひかりのファンになりそうなことを悔しいと思った。
 それゆえのわたし再生産。ジェットマッドマックス。

 ひかりと華恋のレヴューの決着がついて、卒業式みたくみんな上掛けを投げ捨てる。もう、レヴューは必要ないから。
 すっきりした顔で華恋は言う。
「私、いま世界で一番空っぽ」
 でも、レヴューが終わっても舞台少女は終わらない。次の舞台へ、いつかまた舞台の上で出会うために。

まとめ

 みたいな感じでよ、映画のクライマックスは華恋ーひかりのレヴューなんだけれだけれども、そのレヴューのキーワードはさりげなくそこまでのレヴィ―にちりばめられてるんだなーって思ったんだ。
 この映画、心象風景なのかシンボルなのか、かなりぐっちゃらぐちゃらの構成をしているけれども、見終わった後にはかなりわかりやすい印象を受けなかったかな?
 それはたぶん、こんな感じでキーワードを繰り返したりする仕組みがあったからだと思うのだけれども、どうなんだろ。
 すげーなー、まねできないけどまねしてみてーなー、って思うよ。頭の隅に入れておこう。



付け足し、あるいはただの感想

 それはさておき、見た感想だ。いやあ、すごく良いよね。
 なんだろう、本当に久しぶりに、心、というか魂と言うかそういうのが燃えているのを感じた。きらめきと言うのだろうか、きらきらというのだろうか。ああ、面白いっていうのはこういうのなんだって、そう思った。
 なんだか、随分と長いこと、こんな物語を食べていなかった気がする。
 もしかしたら、僕が最近小説を書けないでいるのは、栄養不足なのかもしれないと思った。
 魂を燃やすもの、燃料になるもの、それがないと動けはしないんだよなぁ。

【おわり】



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