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【連載版】発狂頭巾二世―Legacy of the Madness ―37

「すいません。ちょっと、外の様子見てきます」
 貝介はそう言って立ち上がった。特に何か危険を感じたわけではない。
 試供品として出された数個目のサイバー甘味を味わった結果、その摩訶不思議な味わいに気分が悪くなってきたのだ。馬鈴堂の甘味は美味しく、味も意外性に富んでいるけれども、連続して摂取するには向かない。
「そう? じゃあ、お願いするわね」
「一人で大丈夫ですかい?」
「ああ、問題ない」
 貝介を見送る空夜と八の前には貝介のものの倍ほどの数の皿が重ねられている。この二人は奇天烈な味の影響を受けないのだろうか? 貝介は不思議に思う。あるいはいかなる異変にも動じない胆力こそが二人が時折見せる静かな迫力の理由なのか。わからない。貝介にわかるのは、今自分の味覚がひどく混乱しているということ。それから、この明るく輝く店内にいたままでは万全な状態を保つのが難しいということ。具体的には先ほどから腹に詰め込んだ甘味が口から出てきそうだということ。
 それは馬鈴に二重の意味で申し訳ないし、いざ何かがあったときに口の仲がすっぱい状態で戦いたくはない。なので、貝介は軽く頷くとゆっくりとした足取りで、店の外に向かった。
 
 店の外はすっかり日が暮れて、狭い路地の隙間から色とりどりの発色灯の光が漏れきていた。人の気配はない。無理もない。馬鈴堂は大通りからかなり外れたところにある。近くにほかの店があるわけでもない。馬鈴堂がしまったらこのあたりを通る用事のある人間もいないのだろう。
 馬鈴堂を振り返る。店先の明かりは落ち「準備中」の札がかかっている。
 それにしても、と貝介の頭に浮かんだのは、鳥沼の立てた「作戦」のことだ。空夜の説明はそれなりに正しい。少なくとも貝介にはそのように思えた。有象無象の模倣者の候補者たちを識別することができれば、今後の対応はやりやすくなるだろう。空夜が仄めかしたように、さらに危険な模倣者を誘導して対処することも十分に実現可能なように思える。
 だが、と貝介は何かが引っかかるのを感じていた。何だろう。考え込み、閉じた瞼の裏に見えるのは輝き。ヤスケの父親と話した際に見えたあの熱い輝き。そうだ。あれはなんなのだろう。模倣者が、『写し』を求める者たちに見える輝き、なのだろうか? だとすれば、と思考は巡る。もしも、模倣者たちが噂を聞き付けたとして、この店に『写し』の輝きが見えなかったらどうなる? そうなってしまっては作戦は瓦解してしまう。
 だがそのようなもろい作戦を空夜が――鳥沼が立てるだろうか?
 思考はぐるぐると廻り、巡る。胃の中の甘味をかき混ぜるように。
「む」
 ふいに貝介は顔を引き締めた。非振動鉈の柄に手をやる。
「誰だ」
 路地の陰に鋭く声をかける。何者かの気配。こんな時間にこのような場所を通るものがまともな輩のはずはない。
 一歩足を踏み出す。油断はしない。先ほどの空夜の言葉が頭をよぎる。模倣者か? それも、売り場に売られている第七世代の『写し』では満足できないような。重篤な発狂頭巾模倣者。
「出てこい。さもなくば斬る」
 低い声で、貝介は呼びかける。おとなしく出てくるだろうか? 出てこなければ。ゆるく握った鉈の柄に力を籠める。発狂模倣者の動きは読めない。先手で制圧できればそれに越したことはない。物陰に踏み込もうと、足を踏み出す。
「あの」
 その瞬間、物陰から人影が現れた。小柄な人影だった。
「お前は……」
 発色灯の明かりの中、貝介は驚きの声を上げた。
「なぜこんなところにいる。ヤスケ」

【つづく】

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