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【連載版】発狂頭巾二世―Legacy of the Madness ―38
「もう、子どもが出歩くような時間ではないぞ」
自然と貝介の顔は厳しい表情になった。人通りのない路地裏だ。子供が一人で歩いていては危ない。ましてや今は鳥沼の作戦によりいつ何時発狂模倣者が現れるかわからない。
「お、おいら」
ヤスケの顔に怯えた表情が浮かぶ。貝介は咳払いをして、意識して表情を緩めた。
「いいか、ヤスケ。何があったのかはわからないが、もう家に」
「おとうが」
貝介の言葉をヤスケの声が遮った。その声は恐れを堪えながら発せられた声だった。そして、その恐れは夜の闇のようにありふれたものへの恐れではない。貝介はしゃがみ込み、ヤスケの目を覗き込んだ。
「お父上がどうかしたのか?」
「おいら、おいら、おっとうとここに来たんだ」
つっかえながらも、ヤスケが言葉を紡ぐ。発色灯の明かりにヤスケの目が煌めく。狂気の輝きではない。涙だ。ヤスケは今にも泣きだしそうな表情で言葉を続ける。
「このあたりに発狂頭巾の物理草紙がたくさん置いてある古本屋さんがあるって、おとうがどこかで聞いてきて、それで、それで」
「ここにきたのか」
こくりとヤスケが頷く。
「ここまできたんだけど、お店の場所がわからなくて、このあたりをぐるぐるしてるうちに暗くなっちゃって」
「そうか」
話すうちにヤスケの声には涙が混じり始める。貝介は困ったようにヤスケの頭を撫でた。その手の感触に安堵したのか、かえってヤスケはえぐえぐとしゃくりあげて泣き始めた。
「泣くな。ヤスケ。それで、父上はどこに」
ヤスケは首を振る。
「わかんない。気がついたらいなくなってて、もう本当に暗くなっちゃうし、おいら、どうしたらいいのかわからなくて」
「そうか。大丈夫だ。そこの店がお前の探していた店だ」
そう言って、貝介は馬鈴堂の店を指さした。店先にかかった「準備中」の札を見て、ヤスケはさらに泣きそうな顔をする。貝介はゆっくりとヤスケの背中をさすった。
「もう店は閉まっているが、事情を話せば中で待たせてもらえるだろう。なに、店主も悪い奴ではない。見た目は怖いがな」
わざとおどけた調子で笑いながら、貝介は続ける。
「店で待っていればそのうち、父上もこの店を見つけるだろう。もしも、あんまりに遅くなるようだったら、俺が家まで送る。だから、安心しろ。もう泣くな」
「うん」
鼻水をすすりながら、ヤスケがようやく顔を上げる。
「あの店はすごいぞ、古本だけでなくて、美味い菓子も出す。少し見た目は奇妙だが美味いことは美味い。な、菓子でも食って父上を待つんだ」
「うん」
鼻水と涙にぬれたヤスケの手を取り、貝介は馬鈴堂の扉を開いた。
淡い紫の泡だつ甘味を口にしながら、空夜が笑った。
「おかえりなさい。あら? どうしたの? ずいぶんかわいい情報提供者さんを捕まえてきたわね」
「って、ヤスケじゃねえか。どしたんで?」
「どうやら、父親とはぐれたらしいんで、ここで待たせてもかまいませんよね」
「もちろんよ」
空夜が頷くのを確認してから、貝介は厨房に声をかけた。
「ああ、馬鈴。すまぬがこの子に何か美味いものを」
「料金はいただけるんでしょうね」
「ああ、改方につけておけ」
「んじゃ、いいですけど」
不承不承と言った声音で、馬鈴の声が返ってくる。
ブガ―! ブガ―!
その時、店内に耳障りな警報が鳴り響いた。
【つづく】