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コンフリクト・アバウト・コンプレックス・パスコード

「はーぁ? いくら南さんでもそれはありえないって」
「ありえないなんてのは言いすぎでしょう!」
 蘭子とくるみが言い争う声を聞いて、ゆうはノートから顔を上げた。見ると二人は険悪な顔で睨み合っている。
「どしたの?」
 二人が仲違いをするなんて珍しい。なんだかんだで甘えたがりな蘭子と意外と世話焼きなくるみは東西南北(仮)時代からずっといいコンビで、この前も「海外に行くのに頑丈なパソコンが欲しいですわ!」という蘭子の要求で、二人で東京までパソコンを見に行っていたはずだ。そこまで思い出して、ゆうは二人の間に置いてあるやたらゴツいノートパソコンがそのパソコンでないかと気がついた。そういえば、今日設定を手伝ってもらうと言っていただろうか。
「ねえ、聞いてよ! 東ちゃん!」
 なにがあったのかと首を傾げるゆうに、くるみが興奮した調子でパソコンを指さした。
 パソコンはログイン画面を表示していて、パスワードを尋ねてきているのが見えた。
「なになに、どうしたの?」
「だって南さん、ログインパスワードを自分の誕生日にしてるんだよ!」
「別に良いでしょう? 覚えやすいんですもの」
 蘭子はそっぽをむきながら口を尖らせた。
「覚えやすいってことは、破られやすいってことでしょ! 4桁の数字なんて一秒で破られちゃうんだから! しかも誕生日なんて、簡単に推測されちゃうようなのをパスワードにしちゃだめだよ」
「でも、だって仕方がないでしょう。あんまり長いと覚えられないんですもの」
「覚えられるよ! ねえ、東ちゃん」
 激しい口調で問いかけられてゆうは頬をかきながら目をそらした。ゆうは頭の中で自宅のパソコンのことを思い出していた。今のくるみに向かって「そもそもパスワードを設定していない」と正直に伝える気にはなれなかった。
「あー、くるみちゃんはどんなのにしてるの?」
 ノートに目を落としながらゆうは尋ねた。
「くるみは毎月変えてるよ」
「え、毎月」
「うん、その方が安全だから」
 当たり前のように答えるくるみをゆうは別種の生物であるかのように見つめた。そんなマメなことができる人類がをいるとは信じられない。くるみの隣で蘭子も眉間に皺を寄せてくるみを眺めていた。
「ちなみに例えば先月のはどんなだったの?」
「えっとね、たしか。Axh9CXJPZC5AtyEzdXGk」
「はい?」
「だからAxh9CXJPZC5AtyEzdXGkだって」
「それ覚えてるんですの?」
 蘭子が口を半開きにしながら尋ねた。
「一月に一回だもん。簡単でしょ?」
「ちっとも簡単じゃあありませんわ!」
 こんどは蘭子が声を荒らげた。そのまま力尽きたように机に倒れ伏す。
「やっぱりそのくらいしっかりしたのの方がよいのかしら」
「その方が安全だとは思うよ。とくに海外に行くんだったらね」
 蘭子のつむじを見つめながらくるみは小さくつけ加えた。
「くるみは一緒に行ってあげられないんだから」
 ため息とともに蘭子が体を起こした。
「なにか考えないといけないのでしょうね」
 そうつぶやいて腕組みをして唸り始める。その隣でくるみも机に頬杖をついて目をつむった。
「どうしたの? 二人とも難しい顔して」
 湯気の立つカップが4つ載ったトレーを持って、美嘉が尋ねた。休憩がてらにお茶を淹れてくれたらしい。いきづまった空気が少し薄れてくれた気がして、ゆうはほっと息をついた。
「南さんのパソコンのパスワードを考えてるんだって」
「へえ、パスワード?」
「うん、美嘉ちゃんはどんなのにしてる?」
 尋ねてみてから、「彼氏の誕生日」とか言われたら気まずいななどと嫌な予感がゆうの頭を過ぎった。そんな予感など気にせず、美嘉は笑って答える。
「えっとね、babahausenolivingにしてるよ」
「ババハウスのリビング?」
「うん」
「なんで、そんなピンポイントな……」
「えっとね、私達の初めての」
「あっ、やっぱりいいや。なんでもない」
 なんだか再び猛烈に嫌な予感がして、ゆうは美嘉の言葉を遮った。少し頬を赤らめた美嘉が残念そうに首を傾げる。
「あー、たしかに、でもなにか長い日本語は覚えやすくて強固になるかも」
 ゆうと美嘉のやりとりを聞いていたくるみが思いついたように口を挟んだ。
「それなら、南さんでも覚えられるでしょ?」
「長い日本語ですの?」
 それでも少しの間眉間にしわを寄せて考え込んでから、「そうですわ!」と蘭子は手を売って微笑んだ。
「おっ、なにか良いの思いついた?」
「これならどうですの?」
 かたかたと両手の人差し指で、蘭子はキーボードに何やら打ち込んだ。
 画面を見たくるみがにっこりと笑った。
「パスワードの強度、かなり強い。いいんじゃない」
「なににしたの?」
 好奇心を抑えきれず、ゆうは画面を覗き込んだ。
「これなら忘れませんわ」
 蘭子が自慢げに笑った。
『touzainambokukakkokari』
 パスワード設定画面にはそんな文字列が表示されていた。

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