靴泥棒
今でも思います。
あの時振り返らなければ、僕は靴を奪われることはなかったのではないか。つまり今でも明るい我が家で妻と犬の温もりを感じることができていたのではないかと。
けれども僕はあの哀れを誘う呼びかけに振り向いてしまったのです。
それが致命的な転落への入り口になるなんて欠片も思わず。
振り返る不安定な体を誰かが突き飛ばしました。
僕は簡単に尻もちをついてしまいました。
顔を上げ、そして戦慄しました。
そこにいたのは襲撃者の二人組でした。二人とも仮面を被っていました。縁日で売っているような安物のお面です。太った方が猿のお面、痩せた方が熊のお面でした。
虚ろな四つの目に見つめられて、僕の身体は恐怖に固まってしまいました。鞄だけを必死に抱きしめたまま。
二人は僕の反応を無視して、素早く僕の革靴を剥ぎ取りました。靴だけではありません。あろうことか靴下までも容赦なく奪われてしまったのです。
僕が懐に手を伸ばすことも声を出すことさえもできないうちに、二人は現れた時と同様に突然姿を消しました。一言も喋ることなく。
後には静寂だけが残りました。
剝き出しの足先に感じた、夜の湿った空気をいやによく覚えています。
やがて遠くに赤い光が見えました。僕はほっと息をつきました。それはパトカーの光でした。
するとあの二人は他にも似たようなことをしているのだな。それで警察が巡回しているのだ。僕が協力すればきっとすぐ犯人を捕まえてくれるだろう。
そこまで考えて僕は咄嗟に鞄を尻の下に隠しました。鞄の中身だけは上手くやり過ごさないといけません。
通りを回転灯でチカチカと赤く染めて、背後でパトカーがとまりました。
「どうしました?」
親切な声が聞こえました。
僕は立ち上がれませんでした。腰が抜けていたのです。
足音が近づいてきて、懐中電灯の明かりが、僕を照らしました。
僕と、僕の剥出しの足を。
「なんだ! 貴様は!」
やにわに恐ろしい怒鳴り声が響きました。
【つづく】