親との最後の会話
この画像は、もう数年経ちますが、私が以前9年間「自宅介護」をしていた時のものです。
当時は何かと大変! 大変! と思いながらも、逆に「最後の奉仕だ!!」との思いもあり、「良き思いと苦労の思い」が互い違いに混同していたことを想い出します。
最近になってやっと、
この介護期間中に、苦労しながらも、知らず知らず「親との間」で得られたモノがあったと分かったのです。
それは、(大変だ~ 苦労する~ と感じながらも)「親へ奉仕する気持ち」で接していたからこそ得られた「こころの成長」です。
しかも、これは決して一人独善では得られません!
親という相手との「こころの交換」も一緒にあったからこそ、得られたモノだと気づきました!!
当時、もし、
「介護なんて嫌だ」「そんなの面倒だ」「そんな自分は出来ないからプロに任せりゃ良いよ」「ストレスばっかり溜まったホント無理」
という思いだけだったら、とても(生涯) 得られない思いだったでしょう。
(誰もが持っている気持ちです)
この言葉では表現し難い、何とも言い現し難い「こころの発見」を今回少しご紹介いたします。
その前に、現在の「介護全体」一般的な情勢を (私の感想含め )少しご紹介します!!
しかし現実は、
年々「介護人口増加」と共に、以下の問題が実際現れて来ています。
私が体験した限りで思った2つの現実
■ 介護費用について!!
現在、国の制度は国の予算が無いなどと「身内の事は身内で世話しろ」といわゆる「自己責任論」で予算はどんどん減らされて、国民負担は年々確実に増えている など、マクロ的・国家的大きな問題として現れて来ています。
そのことについて書いたnote記事はこちら
■ (失礼ながらも)専門家全てが大切な身内を任せられるプロだけでは無い!!
私自身9年間、さまざまな介護施設にお世話になりました。各担当ドクター、看護師さん、ケアマネジャーさん、介護士、ヘルパー、作業療法士・理学療法士・言語聴覚士・お風呂介助スタッフさん 等々
入れ替わり立ち替わり、述べ数百人近くお世話になりましたが、私が体験した限りでは「本当にプロとして(他人で有る事は致し方無いとして)介助して頂きたい」と思う方は、正直なところ数十人にお一人か二人ぐらいの割合です。
等々、
ほかも「介護全体」を取りあげますとさまざまな話題がありますが、
今回は置いときまして、今回の本題!
映像って大事ですね。
悲しくなる為にしばらく観ていなかったのですが、少し落ち着き、改めて以前の状況を振り返ってみますと、新たに思ったことがありました。
その動画がコチラ
(少し思いついた言葉を編集して入れてあります)
数年を経て、介護している最中と、介護を終えてから、では気持ちの反応が違う!! と気付いたのです。
親の介護以前は、もっぱら「個人の自由」を謳歌していました。
自分の好きな事! 自分のやりたい事! 自由な時間に働き! 自由な時に遊ぶ!!
言わば自己を中心として単に生活していました!!
しかし、私の場合はこれらと違って、あえて自分から第三者(身内) へ向け、(たとえ苦労しても・慣れない作業であろうと) 時間を割き動く事で、これまでと違った別な「良き反応」を後から気づいたのです。
「介護の体験」を通して、
「個人の自由」
「己を優先する」
これらに対しての良きイメージが、悪きイメージへ変わり、むしろ
「苦労をする」
「我慢をする」
「嫌な思いは出来るだけ避ける」
等、現在では悪しきイメージが、良きイメージへと変わり
「活用のしかた」が変わったのです!!
具体的な例を挙げますと、(仕事の成長例が分かりやすいかもしれません)
どんな仕事でもそうですが、初心者からプロへ、一流へ、ベテラン、引退まで考えますと「自由・己を優先」する方の仕事って、
おおよそ限界が観えますよね!!
●「お金を得る為」
●「より収入を得る事」
●「商売が落ち込んだ際」
●「技術をより一層高める」
●「次の新たなる事を生み出す」
●「ず~と何年も継続して続けられ、また継いで続けられる」
これらへ、もし、
「自由だぞ」「自分が為だけに」やっている方では、とても先が続かなく、維持も成長も無理だろうと、いろんな仕事においてだれでも容易にイメージ出来ますよね ?
ですが、「苦労をする」「我慢をしてでも」「嫌な思いは出来る避ける」 等々、
言わば昔からよく言われる「苦労は買ってでもしろ」ことわざ通り、
これらを行う意味合いをしっかり理解しアドバイスとして教える方が、今はほんと少なくなったなぁっと思い出すと気付きます。
私もしばらくの間忘れていた、この思い、
「こころの新たな発見」=誰かへの奉仕心=仕事の成長=継続させるチカラ=新たな技術を増やす生み出すチカラ
だったと気付かせてもらったのが、この「介護経験」の←介護当時は気づかなかった「こころの成長」でした!!
「仕事の成長」の仕方も、「こころの成長」の仕方も、似たようなものだったのです!!
身体は当時、正直大変でしたし、最初は慣れない事が多かったですが、
ある程度慣れて来ると、それまで観えて来なかった (おそらく専門家の中でしか体験できなかった事を) 身内目線で捉えることが出来たのだと思います。
また私自身が小さい時に、自分が親から (会話でもなく愛情を注いてもらっていた) 補助されて時間を過ごしてした同様に、
今度は自分が、親へ補助をして時間を過ごす、またとない機会だったと振り返ります。
また、親自身の身として考えますと、
自分が身体を動かせ無くなった状態で、且つ会話も出来ない状態で、
最後に奉仕してくれる者 (専門家の中でも自身親と思って心を込めて奉仕してくださる方もちろんいらっしゃいます) が、身内だったからこそ、言葉の交換では無い「互いを交換する反応」が現れたのだ!!と(後から振り返ってみて)思います。
私の場合は、
自身で出来るだけのことをし、また、この貴重な終わりのトキに
「親との対話」出来て、ほんとに良かった!!