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カハラとハレクラニ

割引あり

ハワイ行ったことのある人の1/2ぐらいはこの写真を見ればどこかわかる気がする。ヒルトンハワイアンビレッジが大箱だから泊まったことがある人が多いということに加えて、ヒルトンであり大箱なので露出(広告宣伝)も活発で、少なくともハワイのホテル選びにおいて一度はその名前を目にしたことがあるだろうし、このラグーンの写真を見たことがあっても不思議ではない。よって、1/2。

オアフだけではなく、ハワイ島にも大箱があるし、日本国内でも沖縄にはダブルツリーを含むヒルトンのホテルが多いので、ひょっとしたらヒルトンに対して南国のホテルのイメージを持っている人も多いのかもしれない。そんなヒルトンは日本初の外資系ホテルとしても有名であり、日本のホテルの歴史を語る上では避けて通れない存在である。それは運営委託契約(MC)に関する希少な訴訟事例(1967年)という意味でも避けて通れないし、ヒルトン学校とも言われる卒業生(OB・OG)たちにホテルの運営の現場で遭遇することも多々あるという物理的な意味でもそう言える。私の中では、第二次ホテルブームは前回の東京オリンピック前後なのだが、以下の通り、1964年の東京オリンピックに向けて開業した多くのホテル群の中でもやはりその存在感は際立っている。

1960年:ホテルニュージャパン、銀座東急ホテル
 61年:パレスホテル
 62年:ホテルオークラ
 63年:東京ヒルトンホテル
 64年:東京プリンスホテル、グランドプリンスホテル高輪、ホテルニューオータニ

東京ヒルトンについてはそれだけで本が書ける、というか、実際に何冊か書かれているし、中には業界の有名人が書いているものもあるので、本題であるハワイのヒルトンに話を戻すが、ここで勘のいい方はタイトルと結び付けて、コイツはカハラ・ヒルトンについて話をしたいんだと気付かれるかもしれない。ワイキキを抜けた先にあるカハラは1996年まで「カハラ・ヒルトン」であり、その後は「カハラ・マンダリン・オリエンタル」の名を経て、今の「ザ・カハラ」になっているんだよね。

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サポート→ホテルで使う→note→サポートというサイクルが回ると素敵ですね。