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怒りは不要?

音声配信アプリ「Spoon」 のNEXT RADIO STARの企画の第3週(#7~9)のテーマは「怒り」。ラジオを振り返りつつ、視覚的にも整理してみる。(いわさき・記)

人間的な魅力

人間的に魅力ある人って、どんな人をイメージしますか?

さいとーが挙げた仮説が、「怒らない人」。
「笑っていいとも!」のグランドフィナーレを見て(もう10年も前のだけど!)、「人に対する『怒り』は不要なのでは?」と考えたそう。
特に、「あなたのためを思って怒っているのよ」といった発言には疑問を感じるそうだ。
いわさきとしては、怒られたことがポジティブな変化のきっかけになった経験もあるため、本当に怒りは不要か?必要か?を、あれこれ考えてみた。

#7_おせっかいな怒り (Spoonキャスト配信より)
クリックしてぜひお聴き寄りください!

怒らないタモリさん

さいとーがこんな考えに至ったきっかけは、
香取さんがタモリさんに感謝を語った言葉。

タモさん…は、特に何も教えてくれませんでした。でもずっとタモさんの背中は見てました。20年一度も怒られたことないです。ちっちゃいことでも怒られたことないです。
僕ひどかったのが、90年代、97年か8年ぐらいの頃に、いいともカップが始まったぐらいの時間、12時50分ぐらいに遅刻して入ったことがあります。ありえません、すいませんでした。それを終わって謝りに行ったときも、あーあー分かった分かった、って、怒りませんでした。
っと……信じられません。まだ。

能町みね子のふつうにっきより
笑っていいとも!グランドフィナーレにて いいとも歴20年・香取慎吾からタモリへの言葉

他にも、怒らないタモリさんの凄さについて色んな記事が見つかる。
「威厳のある人」が「怒らない」というギャップが人を惹きつけるのかもしれない。

「威厳のある人」が「怒らない」というギャップが人を惹きつけるのかもしれない

理想の怒り方

怒りたくない理由

さいとーは学生時代のバイトで、お皿を割ってしまったことがあるらしい。一気に複数枚‥😢
(絶対に怒られる‥)と覚悟していたが、先輩の第一声は「ケガはなかった?」と気遣いの言葉。今後、誰かが何かやらかしても決して怒るまい、こんな風に対応したい!と思ったという。
残念な状況で焦ってしまってもいいところを、まずは人を気遣う先輩の対応は、意識していないとなかなかできないだろう。すごいことだと思う。

自分の基準を考える

しかし、一概に「怒るのが良くない」とも言い切れない。
もし、誰かを困らせるために、わざとお皿を割ってキッチンを滅茶苦茶にしていたのならば、怒った方が良いかもしれない。そんな精神状態であることを心配することももちろん選択肢にはあるが。

人のことは怒らない方がいいのか?指導のための怒りはしょうがないのか?事情があるなら怒らず聞くべきなのか?
正解はないが、「自分が怒る基準」を設けることが大事なのだろう。

怒りを受け入れる

怒りを避けたい理由

「怒り」はネガティブな感情(怒られちゃった…😢😞)を生んでしまいがちだ。怒らなければすむ話だが、ネガティブにつながるのは「怒り手」だけの問題ではない。「怒られ手」もただただ悲観的になってネガティブに感じるだけでなく、怒り手の気持ちを考えることで、問題を探ることができる。

怒られる≠悪いこと

つまり、怒られたからといって、必ずしもネガティブに感じる必要はないということ。「怒り」は、問題が発生した結果で生まれた一つの感情に過ぎず、良い・悪いではなく、もっとフラット捉えても良いのではないか。
何かしらの問題を感じた「怒り手」が、その伝え方に失敗してただただ怒りをぶつけてしまっても、「怒られ手」が背景を探ることで、一緒に問題の解決に向かえたらいい。「怒り」をそんなふうに捉えてみたい。

#8_怒りはしょうがない? (Spoonキャスト配信より)
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怒りたい時に、好きな度合いで怒る

怒りを抑える?

「怒り」があるから見えてくる問題がある。そう考えると、怒りの感情は、「抑えるべき」とも限らない。
私なんかは、怒るよりも、怒りを抑えがちだ。「怒りなさい」と言われても、急には怒れないし、怒りたくても迫力が出なくて、それはそれで残念だなあと思ったりする。
と言いつつ、棘のある言い方をして人を傷つけてしまったかも?ということや、意地悪な言い方をして反省することもある。

怒りとボクシング

怒ることは意外と難しい。その難しさは、ボクシングに似ている気がする。ちょっとジムに通っていた頃、なかなか思うように拳に力が乗らなかった。
「いかにパンチに力を乗せるか?」
「牽制のジャブのいい感じの出し方は?」
「相手との距離の取り方は?」
などなど、トレーニングが大事になる。エネルギーを相手に届けるのは、簡単には実践できないということだろう。


怒ることは、ボクシングに似ている気がする

怒る意味

怒りを「感じる」のは悪いことではない。社会や理不尽な事柄に対する怒りだけでなく、周囲の人に関する怒りも含めて。
適切に、「発散や発信、伝達」すること、もしくは「抑制」することが必要だろう。では、いかに適切に実践していくか?
感じた怒りは、「問題発見のきっかけ」として大事にし、その上で適切に対応できるよう、自分で自分をトレーニングしていきたい。それが「人間的な魅力」を磨くことになるのかもしれない。

#9_怒る人、怒られる人 (Spoonキャスト配信より)
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