「豊かさって何だろう?!」について再考しました。
■自分が心地よいと感じること
それは年代と共に変わっています。ざっくり40歳代以前は人に「干渉されるひとりで過ごす時間」が好きで豊かさを感じていました。
当時の実状は反対で官公庁仕事で接待の日々でした。私は現場の人間でしたのが営業さんの仕事でしたが涙ぐましい努力をされていました。
下水道処理施設の電気工事の時に民宿で泊まって時に機械設備の監督さんに夜な夜な飲みに誘われた時は閉口しました。
お酒が駄目でその人の下請けでほないので付き合う義務はないのですが、現場で日々顔を合わせるので理由を付けて断っていましたが数回に1回付き合っていました。
それが50歳前にチームプレーと言われる工事現場仕事から訪問介護と言われる1対1で介護を行う仕事に変わると人は勝手なものであんなに嫌だった人からのお誘いが懐かしくなりました。
介護の人間関係が薄いと言うことではなく、職場の勤務は夜勤がメインで昼はその明けになっていました。常に誰かが勤務していて全員が揃う事は困難で以前の職場のように全員参加の懇親会は望んでも実質不可能でした。
隣の芝生は青く見えるでなはいのですが、職場が変わればあの頃は良かったになります。夜勤メインで週2日平日休みの勤務形態になりました。
それまでの土日昼夜を関係なく馬車馬のように働いて担当件名が終わった後や盆正月にしっかり休める仕事と週2日休んで盆正月関係ない仕事のどちらが豊かな生活だったかと今思えばどちらも満足出来で自分にとって豊かなでやりがいのあった日々であったように思います。
■自分にとっての特別な時間、場所、もの
その時々で変わりますが仕事終わりにマクドナルドで見知らぬ人に囲まれて食べる夕食や一杯のコーヒーを飲んでゆったり出来る時間が自分にとって特別で豊かな時です。
■これから「ゆたかさ」「幸せ」の基準になっていくと思うもの、こと
振り返れば生活のためや欲しいものを買うためのお金を必要に思いほしいと思ったことはあります。
お金はあくまでも豊かになるための手段や1つのツールに思えています。豊かさは心1つで感じられるように思います。どんなに忙しい時間でも缶コーヒーを飲む数分の時間は出来ます、一杯のコーヒーを飲む数分の時間でも想い次第で豊かな気持ちになれる。人生を半世紀生きた今はそのように感じています。
逆にどんなにお金や時間があってもそれが豊かさとイコールではないように感じています。
上記写真は障がいを持った子どもさんと一緒に行った公園で素敵に見えた風景です。
これまでは一人が好きでしたが、一人で見る風景より気の合う仲間と見て語れるのが豊かさのように今は思っています。豊かさと感じる事は人生経験と共に変わってくるものかも知れません。