避難生活〜もう半年〜
こんばんは。久しぶりだけどnote開きました。
このnoteは、子ども2人を連れて夫から避難生活をしてるなりかけシングルマザーのnoteです。
久しぶりにnoteを開く気持ちになりました。
この1か月、いろんな意味でたくさん学びましたー。
おかげさまで、子どもたちは元気で、毎日明るく楽しく新しい生活を過ごしてくれてます。
慌ただしく新生活が過ぎていき、気づいたら夫から離れてもう半年経つんだと。
私も子どもたちも、心境の変化がありました。
パパと釣りに行きたい
良い季節になり、子どもたちは夫とよく行っていた釣りに行きたいと言い出しました。その為に会ってもいいと。
一緒に住んでいた13年間、我が家のお出かけはほとんど釣りでした。それ以外のレジャーはお金がかかるからと、ほとんど行かせてもらえませんでした。
でも、それはさして辛くなく、私も子どもたちも自然が大好きで、お出かけといえば川や海、山に行って遊んでいました。
その時間は私にとっても宝物の時間に間違いなく、私の携帯のカメラフォルダは、山や海や川で過ごす家族の写真でいっぱいです。
私1人ではできない事をたくさん経験できたのは、間違いなく夫のおかげだと、感謝の気持ちもあります。
避難生活を始めた当時、私は、というか私も子どもたちも、逃げる事しか考えられなかった。次男はよくわかっていなかったかもしれませんが、児童相談所にも警察にも直ぐに遠くに逃げなさいと言われていました。
どうしてこんな事になってしまったのか…。長男に申し訳なく、恐怖と不安で押し潰されそうでした。
仕事をつづけてよかった
毎日不安で、よく眠ることもできなかったけど、仕事の時だけはいつもの、今まで通りの自分でいられるような気がして、その日々のおかげで気を取り直す事ができました。
私を変わらず雇用継続してくれた会社、上司には感謝しかないです。
社会とのつながりは1人の人間にとって大きな要素です。実家の家族にも友人達にもたくさんたくさんお世話になりました。
避難生活での数々の決断の中でも、唯一よかったと自信を持って自分で思えることは、地元を離れなくてよかった、ということです。
この状態で、避難のみを優先してまったく地元を離れていたら、おおげさじゃなく、私たちは生きていけたのか、私は子どもたちを守れたのか、正直言って自信がありません。
時間の経過とともに
私は今、夫と出会う前の自分を取り戻しつつあります。
根本的には解決はしていません。
月日経つ毎に、相変わらず夫からは婚姻費用を減らされ、弁護士を通して嫌がらせ行為のような通達もくるし、家の売却もまだ、離婚も成立していない、学用品の購入も遅れ気味…。離婚がまだなので児童扶養手当ももらえず、生活は楽ではありません。
でも、子どもたちも私も元気で、家族の助けもあり、学校や周りの方々の理解をいただいて、経済的にもなんとかなっています。
子どもたちから父親は奪わない、私から子どもたちも奪わせない
何か良い方法があれば、と、模索しています。
私は夫の元には絶対に戻らない。でも、これからもずっと子どもたちの父親である、という事実は受け入れる。
将来、子どもたちが安心して父親になれるよう、父親としてその存在は否定したくない、と、今は思っています。
アルコール依存性、それによる私や子どもに対するDV、児童虐待は許しません。ですが、今はこう思っています。
アルコールによる問題が絶えない夫なりに、私たちのために、父親として家族としてがんばっていたには違いないと。
気持ちは変わるものです。
でも、私の思いなんて、向こうは屁でもないと思います。言葉を選ばずに言えば。屁でもない。
私にできることはなんだろう。